見た!聞いた!――子どもの動きがすごい授業
 開かれた心                 


 子どもの動きを閉ざすものは何か。
 閉ざされた心である。
 開かれた心のもとでは、子どもの動きは、実に伸び伸びとしていて自然体である。
 不自然な作られたような子どもの動きを目にすることが多かった日々……驚くような授業を目の当たりにした。
 平成10年11月13日、奈良女子大学文学部附属小学校の公開研究会での大津昌昭先生の授業である。
 そこには、作り物ではない自然な一年生の姿があった。それぞれが自己主張しながら、互いの存在が絡み合っていた。 
 そうさせているものは何なのか。
 長期研修中であった私は、大津先生にお願いして、2月中旬に一週間、つきっきりで授業を見せていただくことにした。
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 中間休みが終わって当番の子の、
「みんなに言いたいことはありませんか。」
という言葉で授業が始まった。
「○○さんは、うそをつかない方がいいと 思います。………」 
「はい、わかりました。」
「△△くんにお願いします。」
「はい。」
「……してください。」
 休み時間にあった出来事に対しての意見の交換が自由に行われた。子ども同士で話し合いが進む。傍らの大津先生は、それを頷きながら聞いている。時には涙もあれば、大きな笑いも生まれる。
 一年生が自分たちで問題を解決していくのである。驚くばかりであった。
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 大津先生は、音楽がご専門である。
 元来、私は音楽が不得手である。その楽しさを子どもたちに味わわせることなど無理だとあきらめていた。
 大津学級の子どもたちは、音楽を聴くと踊り出す。伸び伸びと、実に良い笑顔で、大津先生が作詞作曲された歌を歌いながら教室中を踊り出す。音楽とは、体の開放、つまりの心の開放なのだと気づかされた。それを楽しむことが音楽なのだと、大津学級の子どもたちの姿から教えられた。
 また、体育のマット運動をする子どもたちの姿が何とも美しかった。どうしてそう感じられるのか、私は言葉にできなかった。
「手の先にまで神経が通っている。」
 隣で見ていた遠藤敬先生の言葉を聞いて初めて理解できた。
 私は、授業で子どもに表現させようと追い込んでいた自分の姿を省みた。
 私は、本当に子どもの心の底から沸き上がる感動を表現させていたか。自由に表現できる場を築いてきたか。何よりも表現そのものを子どもたちは楽しんでいたか。
 多くのことを考えさせられた。
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 現在私は、大津学級のように朝の会、当番の話を行っている。教材論、授業論を越えた子ども論に迫る大津先生の姿を追いながら。

 「授業のネタ 教材開発」(明治図書)2001 12月号