いつどんな時「話合い・討論」を入れるか  3年

 いつどんな時「話合い・討論」を入れるか
                                          

「話し合いは、結論が先にない場合で、討論は白か黒か、決着をつける場合、というような分け方がいいのかな、ぐらいの意識でおります。」(樋口編集長)


 教師は、授業の中で子どもたちに意見を求め、話し合いの場面を築く。しかし、その多くは、
「自分の考えを言ってごらん。」
「今の友達の考えをどう思う?」
と聞きながらも、その実、子どもたちに白か黒かを迫っている。仮に教師がそういう意識がなくても、子どもたちの中には、そういう一種の脅迫概念があることは確かである。
 勿論、二者択一ではなく、2つは関連しているのではあるが、筆者は、3年生の時期であれば、まちがいなく「話し合い」の場面を大切にすべきであると考える。
  子どもたちの「話し合い」の力をどこで築いていくか。筆者の昨年度の3年生での実践から述べていく。


①「話し合い」を築く朝の会
 朝の会の当番の話。その日の日直が話をするというありふれたものである。しかし、ただ一点次のことにこだわると、大きな違いが生まれる。
┌───────────────────────────────────────┐
│ 発表者の発表内容よりも、発表者と発表を聞く子のつながりに重点をおく。                │
└───────────────────────────────────────┘
 学級編制後ということもあって、4月当初の子どもたちは、友達とのつながりが薄く、なかなか話し合いの雰囲気を築きにくい。自由に発表させていると、クイズの本を持ってきてみんなにクイズを出すということが多くなってきた。
  当番の話が、当番のクイズになった。
───どう思われるであろう────
 筆者は、これを良しとした。
 クイズには、それなりの良さがある。

 まず、問題には必ず答えが付きものである。つまり、問題を出した子が、手を上げた友達の中から指名し、その友達の答えに対して、正否を発表する。そこには、あきらかに個と個のツーウェイが存在する。
 また、話をした子と、答えた子のその一部始終をみんなで共有できるという面もある。
 子どもたちは、クイズが大好きである。正否に対しての歓声が活気を生む。騒がしいときなど、問題を聞こうとして、「静かにしてください。」と注意し合う場面が生まれてくる。
 誰にでもできるという利点もある。
                *
 いかに楽しいクイズでも、これが一ヶ月以上も続けば飽きる。本を使わないクイズにしよう、とすると、次のような身の回りのクイズが流行る。
B「ぼくの家には車が何台あるでしょうか?」
C「質問! B君の家族は何人ですか?」
D「B君には、お兄ちゃんがいるよ。」

B「お兄ちゃんと、お婆ちゃんと……5人です。」
E「お母さんは、仕事に行っているのですか?」
B「うん。会社に行っているよ。」
F「じゃあ、車だな。」
G「でも、私のお母さんは会社まで自転車で行くよ。あっB君、お母さんの会社はどこにありますか?」
 教師は、発表者の発表内容や量に感心を向けてしまいがちである。(昔の筆者はそうであった。一分間は話そうというルールを作ったこともあった。)
 この場合の発表は、むしろ不完全な方が良い。B君の発表が不完全であればこそC君の質問が生まれる。D君が関連したことをつぶやく。B君がそれに答える。Gさんのような自分の家族を引き合いにした視点が生まれる。
 子どもたちの中にある問いを、いかにして表現させることができるか。そこから入らなければいけない。まず、討論の学習形態ありきではない。
                *
 次に流行ったのは、子どもたちが「物」を持ってきての発表である。
「この花は、なんという名前だと思いますか?」
「ヒントはないの?」
「最初がシで始まります。」
 この時間は、友達と話し合うことの楽しさを実感させたい。
 問われるべきは、完全な発表、完全な話し合いではない。互いに支え合うことのできる不完全さの共有である。補い合える互いの存在の確認である。質問や付け足しなどの支え合いをどのように築いていくかである。
 このような当番の話し合いを行うと時間的な問題が生じる。1人の発表は短くても質問や付け足しなどが加わり当番2人で20数分間。当然1時間目の授業時間は削られる。
 しかし、それでも良しとした。これを一年間毎日続けた。
 
 ②当番の話(2月5日)
A 【これから、ぼくの話を始めます。(パチパチパチ)
 2月3日木曜日、帰り道に、目の不自由そうな人が犬と歩いていました。ぼくは、何で犬と歩いて、うんと、歩けるのかなと思いました。
 あと、夜節分の豆まきをしました。じいちゃんが鬼になりました。鬼なのに弱かったです。(ハハハハ、フフフフ)だから、あっと言う間に終わってしまいました。後からみんなで豆を食べました。ぼくたちの豆は、うんと……(中国?)(千葉?)………先生達が食べた………『どっちだった?』(中国?)(千葉?)………中国だった。】
B「あっおれんちも中国だった。」
「うちんちは、スーパーでやってるの」
「うちもだっけ」
C「はい!」
A「はい、Cくん。」
C「その目の不自由な人、その人、スティックみたいの持ってた?」
A「持っていなかった。」
C「だれかいたんじゃないの?」
A「不自由そうにしていた………」
D「ひもでやってた? ふつうのひもでやってた?」
A「ううん……、E君。」
E「目の不自由な人の歩いている下のところにボコボコみたいな、何かデコボコみたいのがありましたか?」
A「なかったけど、犬といっしょに行ってたから…………」
C「あー分かった。」 
E「盲導犬!」
 「盲導犬って何?」
C「A君、ここにベルトみたいのしてた?(うん)あーじゃあ完全だ。あと、ボコボコは道にしかないんだ。」
A「F君。」
  「目の不自由な人を誘導するの?」
F「犬の背中に………」
       (F君黒板に向かう)
C「ベルトみたいなのでしょう?」
G「…………うちにもねえ、そのポスターある。」
F「こんなのはつけていましたか?」

T『なんだそれ?』
F「盲導犬が背中につけているの。」
G「犬がつけていて……」
F「目の不自由な人が……ハーネスって確か言うんだけど。(すごい!)目の不自由な人は、まわりがわからないから、犬がそこをおぼえて……。」
B「ボランティアと同じじゃない!」
F「ドアやそういうことを教えてくれる。」
C「盲導犬だよ、盲導犬。」
『盲導犬?』
C「盲導犬じゃないと、そういうことはできないんだよ。」
B「ボランティアでやっている人もいるよ。」
H「普通のひもでやってるのでなくて、鉄で………」
『何、じゃあ散歩行ってるんじゃないの、その人は。(違う)犬の散歩じゃないの?』
E「目が不自由だから………」
C「普段連れているんだよ、目の不自由な人は。」
E「外を歩くときは、その盲導犬を、何かベルトだかみたいなのに(つけて)つけて、手でにぎって……」
G「首輪につけるんだよ。」
『道路のボコボコっての何?』
E「あの駅のホームとかにあるボコボコで、」
G「黄色いやつだよ。」
E「それまっすぐの何か………。」
G「こっからでてはいけませんよっての。」
E「まるいやつが止まれって印で、」
G「そうそう」
E「長いやつが進んで下さいって」
………………………………………
 A君の話をもとにして、この後も話題はどんどん広がっていった。
 一人の発表が意外な方向へと進み、いつしか新しいつながり・発見が生まれる。そこには理科や社会科の垣根は存在しない。
 二学期にもなると、いつしか普段の授業においても話し合いが深まるようになっていた。「話し合い」の延長として意見の違いから「討論」へと発展することもあった。しかし、根底に友達を支え合うつながりが存在すればこその「討論」である。
 三年生には、まず自由な話し合いの場としての「当番の話」が有効である。

 

 「社会科教育」(明治図書)2000 7月号