TTのよさが生きる教材の開発 社会科
教師も分かれて討論に参加!
私は、ティ-ムティ-チングで授業を行ったことはない。(広義には、学年での見学や集会なども含まれるのであろうが。)
当然、社会科の授業をティ-ムティ-チングで行ったことはない。
実践を踏まえず原稿を書くのは初めてである。原稿依頼を受け、迷ったが、ティ-ムティ-チングの勉強をする機会と考え、お引き受けすることとした。
書店に並ぶ専門書の中、
「ティ-ムティ-チングによる社会科の授業づくりと展開」(明治図書)
が、ていねいで分かりやすかった。その中で、北俊夫氏は、学級内において行われるティ-ムティ-チングを次の3通りに分けておられた。
┌──────────────────────────────────┐
│○メインとなる教師が中心に一斉学習を進めるなかで、サブの教師が個別指│
│導に当たる。 │
│○一斉学習のなかで、共通してつまずきや問題をもった子どもたちを取り出│
│して個別に指導・助言する。 │
│○学級全体の子どもたちをいくつかのグル-プに分け、それぞれが学習活動│
│を展開する際に複数の教師がかかわる │
└─────────────────────────<抽出 沼澤>──┘
有田編集長は言う。
『TTによる授業には、それなりの「よさ」があります。この「よさ」を生かすにはそれにふさわしい教材があると思います。』
以下に、北氏の分けた3番目のタイプで今までの授業をTTのよさを生かしながらどのように変えていくことができるかについて私なりの考えを述べることにする。
※授業から(2年前の6年生の実践)
┌─小単元「日本と関係の深い国々」─┐
│第1次 日本はもうかっているか │
│第2次 日本の貿易品と相手国 │
│第3次 日本とアメリカ │
│第4次 日米の貿易摩擦をどうするか│
│第5次 調べ学習 │
│第6次 外国は日本のことをどう思っ│
│ ているか │
│第7次 日本の貿易の歴史 │
│第8次 中国と日本 │
│第9次 サウジアラビアと日本 │
└─────────────────┘
この小単元は発表を中心とした討論形式の授業で行った。
第6次の授業記録は授業研究21 ’96・2月号臨刊「徹底検証」新学力観で子供は変わったか、に記した。お読み頂ければ幸いである。
第4次「日米の貿易摩擦をどうするか」で、5兆円の対米貿易黒字をどうするかで子ども達の意見が分かれた。
貿易黒字の解消方法として、日本は、
①自動車の輸出を減らす。(工業で働く人にがまんしてもらう)
②農作物等の輸入を増やす。(農家の人にがまんしてもらう)
の2派に分かれた。
それぞれの主張をもとに、第5次で調べ学習に入った。
この時、教師は何をしていたか。
それぞれの子ども達が図書室や家から持ってきた参考資料の読み取りを助けたり、質問を受けたり‥‥‥‥双方に中立の立場を取っていた。
子ども達の考えが分かれた時、多くの場合教師は少数派に与する。または、両派を行ったり来たりして、どちらつかずの立場をとる。時には、学級全員を敵にまわして、はてな?を持たせることもある。
子ども達に強いはてな?を持たせるには、教師がわざと間違ったり、突拍子もないことを主張して子ども達の視点を変える。
少なくても、私は、そのように授業づくりをしてきた。
前述の授業でも、私は、子供達の討論の司会的役割に徹した。教師の私が「自給率を高めなければいけない。そのためには‥‥‥。」と自分の考えを主張しては、全体の考えがなびいてしまうことがあるからである。
授業記録での子どもの発表に、北先生や岩田先生からお誉めの言葉を頂いた。しかし、私には満足できない部分があった。下位の 子の考えが生かしきれていなかったのである。子ども達は、自由に小グル-プを作って調べ学習にあたっていたが、両派の中で、それぞれまとまった意見の交換がないまま授業に臨んでいたためである。
TT‥‥もし教師が二人いたら‥‥‥‥
①②両派に教師が分かれ、それぞれの派で教師がリ-ダ-的な役割をして、ある程度参考となる資料を準備して、自派の考えを焦点化して調べ学習に臨むことができる。
そうすれば、さらに深まった討論になったはずである。
TTのよさが生きる社会科の教材開発にあたって、私の主張は、
┌────────────────────────────────────────────┐
│ TTの教師が中心となって、子ども達に討論を導き、そして、一緒になってその質を高めていく │
└────────────────────────────────────────────┘
ことである。
勿論、相手の発表を聞いて、立場を変える子はいてもいい。また、意見の戦いの中で、両派に属さない新しい考えが出てくることは好ましいことである。
何度か教師を含めた討論の授業を繰り返すうちに、討論の仕方、資料収集の仕方、発表の仕方を身につけていくことができるのである。
こういうTTでの授業があってもよいのではないだろうか。
前述の授業を2人の教師で行うとすれば1人はアメリカ人となって、日本との貿易不均衡を訴え、②を迫る。もう1人の教師は、「自動車の輸出を減らすよ。だったら文句はないでしょう。」とふてぶてしい日本人を演じる。
いや、①を主張する農協の代表と、②を主張する自動車会社の社長がいいか‥‥。教師2人の演じる様子を見て、賛成する子ども達からは拍手がおこるはずである。
その後、二派に分かれて自分達の正しさを訴えるための調べ学習に入る。その時、教師は、さりげなく下位の子ども達の活躍の場を確保してあげることもできる。
「~君は、先生と一緒に考えようか。」
一緒に考えながら、討論の場で発表できるようにしむける。
教師が中立の立場を取っていては、これはできない。子ども達は敏感である。
もし、教師2人で子ども達を巻き込んで授業をできたら‥‥‥‥‥いろんな授業が浮かんでくる。
例えば、6年の歴史では、
○聖徳太子と蘇我氏
天皇中心の政治を作ろうとする聖徳太子役の教師と、大きな力を持つ蘇我氏役の教師。お互い仲良くしながら、見えない所でアッカンベ~して、どのように自分の思うようにしていこうかと考える。
子ども達も、聖徳太子側と、蘇我氏側に分かれ、自派がうまく行く政策を模索する。
私は、聖徳太子側についた子ども達と一緒に、密かに蘇我氏の影響を落とすにはと考えてみたい。土地がない、お金もない、どうやって蘇我氏のわがままをおさえるか。すると、17条の憲法や冠位十二階の制度に隠された目的が見えてくるはずである。また、逆に、蘇我氏側も、朝廷で権力を握るにはと話し合い、様々な策略をねることができるはずである。
様々な歴史のできごとを暗記するのではなく、自派の思惑を達成するために対立する側への政策を考える、子ども達からの発信を生かした授業になるはずである。
私は、今まで、これらの追究を、はてな帳を中心とした個人学習で行わせてきた。力のある子はともかくとして、下位の子には難しかったことと思う。
他にも、
○聖武天皇と農民
○貴族と武士
○源氏と平氏 …………………………
子ども達と一緒に楽しく考えられるような授業がどんどん浮かんでくる。
教師と子ども、一緒に演じることも考えられる。例えば、
┌─────────────────┐
│『関ケ原の戦い』をみんなで演じる。│
└─────────────────┘
関ケ原の戦いは、それまでの戦国武将の合戦とは異色のものである。
一つは、東西各大将が必ずしも全軍との間に主従関係がなりたっていないこと。西軍は豊臣恩顧の大名集団である。大将の毛利氏は、結局は合戦に参加せず、中心となった石田三成は、人望薄く兵力は少ない。
一方の東軍は、なぜか豊臣恩顧の大名が中心となって戦いを進めて行く。結果として、この戦いは、豊臣政権の崩壊を招くことになる。歴史の大きな分岐点となっている。何よりも、この戦いで負けた西軍が、200年以上も後の明治維新の中心となること、そこに歴史の大きな流れを感じる。
私は、本誌90年12月号の<授業づくりに役立った本>で学習研究社発行の歴史群像シリ-ズ④関ケ原の戦いを使って、「関ケ原の戦いをドキュメントで」と主張した。
戦いの途中の武将の動き、裏切りなどを子ども達が目で追えるようにするために、地形・布陣を黒板に表し、大名の兵力をマグネットつきのコマの数で表し、コマを動かしながら授業を進めた。
子ども達には、好評であった。
この授業で、子ども達はたくさんの「はてな?」をみつけることができた。
しかし、今にして思えば、知識にたよるところが多かったと思う。関ケ原の戦いが分かった、で終わっていたと思われる。
もし、2人の教師で授業ができたら、2人で石田三成と徳川家康になり切って、子ども達全員に武将になってもらい、関ケ原の戦いを再現してみたい。
そのためには、関ケ原の戦いの完全なシナリオが必要である。
学習研究社発行の歴史群像シリ-ズ④関ケ原の戦いを使って、関ケ原の戦いをドキュメントで演じられるシナリオを現在制作中である。武将一人一人に巻物形式のセリフ入りのシナリオを持たせ、対陣させる。今学期にも、6年生の授業に、TTで加わって実践してみたいと考えている。
島津氏の敵中突破の撤退を演じる子、小早川秀秋を演じる子、毛利秀元、吉川広家を演じる子、それぞれが歴史の中に入り込めるようなシナリオにしたい。
西軍諸将の敗者に対する処置、東軍諸将への勝者に対する行賞に見られる大名の生き方などについても考えさせることができるはずである。
戦いの途中、秀吉の幽霊役の校長先生が登場すると、豊臣恩顧の大名が敬礼する。戦っているのは秀吉の恩を受けた武将が中心と一目で分かる。そんな場面もおもしろい。
TTでの授業は、教材を新しい角度でとらえなおすことができるようである。
TTの実践者としての見解も是非述べてみたい。
「授業のネタ 教材開発」(明治図書)1996 6月号