単元構成をめぐる批判=論点整理と私の反撃 

 執着点をイベントで構想しがちになるが


 生活科が導入されたとき、お祭りなどのイベントが花盛りであった。私は、生意気にも、
(生活科の本来の目的はそこにはない……。)
と思っていた。今回の総合的な学習の時間の導入時も同じような気持ちにさせられた。
 しかし、しかしである。
  実際に子どもたちと授業をしているとイベントもいいかなと思わされる。あくまでも、目的でなく方法と捉えた場合である。
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 そのイベントでの成功・不成功、内容の善し悪し、子どもの活躍などは、一面でしかない。それをもって、それまでの子どもの学習を評価するなどは、もっての他である。
 当然、発表の練習に何時間も費やし、すらすらと暗記させてまで行わせる必要はない。
 発表内容が明らかに子どもの域を超えた外面だけの背伸びになっていては、何の学びもない。
 つまり、イベントそのものを見栄えの良いものにしようとしたり、イベントそのもので子どもたちの活躍を参観者に受け取らせようとする教師側の姿勢が感じられたときに、総合的学習は形骸化する。
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 そもそも子どもは、イベントが大好きである。自分の活動が認められる場に立ち、即座に反応が得られるからである。
 当然、喝采を得ようと羽目を外したり、調子に乗って失敗をすることもある。
 そうやって学んでいく場と位置づけるべきである。イベントこそ失敗を土台にして大きく成長することができる場なのである。
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 昨年度3年生の実践から
 昔のくらしの学習で、昔の物調べを始めた。家庭から教室に昔の物が運ばれてきた。
 教室の中に昔の物コーナーを作った。テーブルを並べて展示する場とした。………たくさん並べられるにつれ、昔の物コーナーの場は広くなっていった。マットの上にゴザをしいて、五畳ほどの空間ができあがっていった。そこに、子どもたちは寝っ転がって、おはじきをしたり、将棋をしたりし始めた。
 T・Mさんが、
「先生、昔の物のお店屋さんをしていいですか。」
と言い出した。私は、
『おもしろいね。』
と答えた。友だち数名から広がっていった。休み時間を使って、お店屋さんには、1年生を初めとしたたくさんのお客さんが来るようになった。いつのまにかポスターが貼られ、受付の場が設定され、手作りのチケットが出回り、感想カードなるものも作られていた。
 私は全てノータッチであった。 前年度までのイベントでの経験が子どもたちを動かしたのだと考えた。イベントのすばらしさを改めて感じた。
 その後、もっとたくさんのお客さんを呼んでしたいという子どもたちの声を受け、学級会で話し合い、大がかりな昔の物発表会が行われることになった。

 ロング昼休みに行った発表会では、子どもたちは汗を流しながら動き回った。校内放送で案内したり、低学年の子への案内係がつくられたり、前回の失敗に対する修正がしっかり加わっていた。


 「総合的学習を創る」(明治図書)2002 8月号