総合的学習で教師に要求される教材開発力  福祉・健康の教材をどのように開発するか        
 健康とは何かを追究する教材の開発
 
 健康とは何かを、子ども達が健康を当たり前と思っている「健康な時」に考えさせても反応は少ない。    インフルエンザが流行した後などが反応が大きい。
 しかし、病気や怪我の問題は、導入でしかない。
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│ 今、自分は健康だと思う人、健康でないと思う人                     │
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 子ども達に問う。
 健康という言葉が、どんなに曖昧な言葉であるかということに気づかされる。
 我がクラス(3年生)では、29名中20名が健康である方に挙手し、9名が健康でないという方に挙手した。
「先生、肩こりは? 健康じゃないの?」

「寝違えたのは?」
「私、腰が痛い。」
「1年生の時からずっと肩こり。」
「息切れがする。」
 健康でない理由をたずねるまでもなく、質問がでる。
「寝不足なのは?」
「心配事がある時も………。」
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│ 今でなくても、前に健康でなかった時は、どういう時でしたか。│
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「インフルエンザになった時に………。」
「ゲロ吐いた時。その時………」
「風邪をひいて食べられなくなった。そして……」
 インフルエンザで苦しんだ時の様子が具体的に語られる。食べることができなくなって点滴をした時の様子、点滴をする理由、苦しんで寝ながら天井を見ていた時のこと、入院中の様子、高熱でうなされた時のこと、肺炎で吐いた時のことなど苦しかった思い出が具体的に語られる。
「同じ場所を捻挫した。」
「手の骨がはずれた。」
 怪我をした時のことも。
 病気や怪我による健康でなかった時の話題が出された後、
「好き嫌い」 「寝不足」 「二日酔い」
板書されたこれらの発表について、
「それは、自分のせいでなるものだ。」
という意見が多数出てきた。病気や怪我など仕方なくなったものと違って、自分に原因があるというのである。
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│ 体が健康だったら、心配事はあっても健康かな                    │
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 子どもの発表の中から問いを導いた。
 心配事があっても体が健康だったら健康と言う子……17名。
 心の中に心配事があったら、体は元気でも健康ではないと言う子………9名。
A「心配しすぎると病気になっちゃうよ」
B「先生、あのね、さっきね健康だって言ったんだけど、その中間で、心配事がすぎて体が痛くなったり、そういうふうにすると健康じゃなくなるんだと思う。ちょっと心配なのは健康なんだと思う。」
C「心配事をしながら寝ると寝不足になっちゃうよ。」
D「理美ちゃんが言っているのは、心配事するとお腹が痛くなるって言うことでしょ。」
B「うん。」
『そういうことがあるの?』
B「うん。私、ある。」
D「人によって違うんじゃないの。」
『心配しすぎると病気になると言うのね』
E「心配事もちょっとした病気で、そこからもっとインフルエンザや風邪みたいに、一緒にかかるっていうのあるでしょう。そこから大きくなる。」
 この後、心配して追いつめられて自殺した子のニュースや、いじめのニュースなど社会的な問題へと話題は移っていった。
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 大人は、自分の体のことを考えて好き嫌いをなくそうとか、ぐっすり眠ろうとか、子どもに呼びかけてきた。健康について、その方法だけでなく、目的も唱えてきた。
 しかし、それだけでは不十分であった。
 心配事があっても体が健康だったら健康、と言う子が17名もいたのである。
 当然、心配事の程度の差によって問題となることはあってもいいが、最初から心と体を分けて考えている子が多すぎる。
 大人の健康観は子ども達にそう伝わっているのである。

 

「健康とは、身体的にも、精神的にも、また社会的にも完全に良好な状態をいうのであって、単に病気や虚弱でないといったものではない。」(WHO1946)

 

 ストレス社会の中で生きる現代の子ども達にとって、心の問題が重要視されている。しかし、それはなかなか伝わりにくい。
「健康」について子ども達と一緒に考えていく必要性を強く感じた。教えるのではなく、共に考え合う永遠のテーマとして。
 子どもの中に、日々の生活体験の中にこそその教材は存在している。本時におけるBさんの言う「自分」への共感と、D君の言う「人による違い」、これを何度かのコミュニケーションを通して互いに意識化させていくことが大切なのである。
 この後、次のようなインタビュー形式の日記のテーマを与え親子の対話を導いた。
【どういう時に健康だと思いますか?】
【心配事があっても健康だと思いますか?】

【お母さん、私が健康だと幸せ?】
 最後には、
【本当に困った時、我慢すればいいの?】について親子の会話を導きたいと考えている。
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 前述の授業の最後に、子ども達に問うた。
『目が不自由とか体が不自由な人は、それだけで健康とは言えないのでしょうか?』
『お婆ちゃんやお爺ちゃんたちは、耳が遠くなってしまう人もいますが、そういう人は健康とは言わないのでしょうか?』
 私自身、自分にも問うていたのである。
 健康の定義が揺らぐ。

 「授業のネタ 教材開発」(明治図書)2000 5月号