理科ノートの「赤ペン」の入れ方

      見る時間は短く、回数を多く

 長岡文雄氏は、子どものノートにマルや赤線を書き込むときは、
「よく自分のものを出しているところ」
「新しい発見、視野の開きの見えるところ」などを容認することを主にするという。
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│ 子どもに寄り沿い子どもの目の高さで、「ほう、なるほど」と書き込んだ│
│り、「こんなことは、どうなってたの」と質問を書いたりする程度にとどめ │
│る。一歩進めて、「こういうことについては、どう考えるの」というように│
│話題を提供することもあるが、考える自由を制限し、固定させていくことが│
│ないように極力注意をはらう。                        │
└───────────長岡文雄「授業をみがく」黎明書房1990─────┘
 赤ペンを入れることに力を入れ、子どもの疑問や新しい発想に詳しい答えを書き込むことが教師の仕事と誤解してはいけない。教師は答えを出す機械になってはいけない。
 子どもの変化を醸し出す酵素のような存在でありたい。小さな気づきを意識させ、価値付けながら、認め、励ましていきたい。
 これは、教えることがいけないというのではない。教師が教えることによって「この子」がさらに新しい発見を導くことができるのなら、その是非は問題にならない。当然のことであるが、個によって対応が違うのである。
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│ 多数の子どもの作品に目を通すという負担からいっても、赤ペンは少な目│
│にし、要点にふれるものがよい。                     │
│ 国語の指導(言語事項)として、誤字を直したり、句読点を正したり、ゆ│
│がんだ字を注意したりすることを多くしていくと、子どもの書く勢いをにぶ│
│らせ、楽しむことを失わせやすい。                   │
│ この種の赤ペンや、表現技法についての指導は、適期を見定め、計画的に│
│集中して行うのがよい。ある期間は、おかしいところがあっても、そのまま│
│に書きひたらせることが大切である。                 │
└───────────長岡文雄「授業をみがく」黎明書房P215─────┘

 ノートは、時間をかけて懇切丁寧に見ていくというよりは、一回にかける時間を短くして回数を増やした方が効果的である。
  ノートを集めることが子どもに「評価されている」という意識を生んでは、子どもは安心して自分の疑問や気づきを書けない。見られることが当たり前になるまで習慣化されなければならない。
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│ 要は、「この子」の努力を認め、その伸びる芽を見つけだし、明日に向か│
│う元気を出させるものでなければならない。                                    │
└───────────長岡文雄「授業をみがく」黎明書房P213─────┘
 そもそも、教師が、赤ペンを入れるのが苦痛に思えるのではいけない。つまり、「この授業で子どもたちがどういう考えをもてたのだろうか」ということを知りたくなるような授業をしなければならないのである。機械的な評価のための赤ペンは、教師にとっても、子どもにとっても不幸である。

 

 N・Sさんのノートから(四年生理科)
  11月28日「あわをつかまえよう」(水の蒸発)の実験時のノートである。「水の蒸発」と「どろ水の蒸発」を比較しながら全体を振り返って書いたものである。「どろ水」での実験は、総合のテーマ「水の旅」を理科の学習の延長上で行ったのであるが、理解を深めるためには必要な実験だと感じた。


 バスクリン……生活体験

 どんなきたない水でも……水の循環のしくみ
 色はつけられないのかなあ?……疑問


 認めるべきところに赤ペンを入れ、最後に一言を書いた。私は、日記や授業のノートを学級通信に載せて広めることによって個を認め、他の子の追究を導くように努力していることもあって、赤ペンの入れ方は、この程度で十分だと考えている。                 

  12月9日の「霜柱を見つ けたよ!」は、体育の時間グランド中に霜柱を見つけた感動を書いたものであ 
る。土と石灰による白線と、砂場の霜柱のでき方が感動的であった。赤ペンの入れ方は、前述したものと同じである。               


  「授業研究21」(明治図書)2003 11月号