子ども相互の話し合い討論 授業の新しいスタイル     
          教材で遊ばせて、発表を導く


 私は、長らく有田和正氏のはてな帳の追試を行ってきた。疑問を残して開いて授業を終えることによって、家庭での子どもの追究を導き、その追究をもとに授業づくりを行ってきた。
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│ 先生が、「ふきのとうとふきのねっこはいっしょだよ。」と教えてくれたので、本│
│当かどうか、ふきとふきのとうがあるところをほってみました。そしたら、本当にそ│
│うでした。ふきとふきのとうをほったやつを、あしたもって行きます。楽しみにして│
│ください。 ……………             4/13(K・Mくん)   │
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 これは、つくしとすぎなに発展した。
 また、三つ葉の近くに咲く白つめ草に疑問をもった子が、引っこ抜くことによってそのつながりを発見することにもつながった。
 私の学級では、子どもが実物をたくさん持ってくる。それらをもとにして、みんなでガヤガヤと意見を言い合い、その後の追究をもとに、日記が書かれ、授業が進む。
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│ とうとうじっけんしていたつくしがかれてしまいました。やっぱり、すぎなとつく│
│しは、ふきのとうみたいにねっこでつながっていました。でも、水につけてもすぎな│
│にはならなかったです。………………   │
│ 家のうらのさくらの木に、今、みがなっています。きみどりです。はんぶんにきっ│
│てみました。中は、まん中がとうめいです。つっついてみたら、やわらかかったです。│
│まん中はたねだそうです。でも、まだやわかいので、なん日かたつとかたくなるのか│
│と思います。学校にもっていくので、かたくなるかじっけんしようと思います。     │
│                                                                   5/6 (F・Mさん)              │
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 Mさんは、つくしがすぎなに変わっていく過程を家で調べ続けた。さらには、さくらの種に関心を持ち、教室で観察を始めた。
 個性的な追究がたくさん生まれた。
 子どもにじっくり追究する場を与えるには、この方法がベストであると考えている。
 その場合、授業の中でのいわゆる実験は、今後の追究のスタートとなることが多かった。つまり、子どもに気づきや疑問を持たせる場としての存在である。その気づきや疑問に対して、子どもたちは、家庭で追究を始めるのである。
 1つのテーマについて、完全なるまとめをもって終結させないことが、子どもの思考を継続させ、内容を発展させていくことになる。いわゆるオープンエンドである。
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 さて、さて………教材を与え、そこから生まれる理解や疑問を家庭学習につなげていく私のこれまでの実践と異なることが一学期におきてしまった。学期末、どうしても授業時数が足りなくなってしまったのである。
 3年生。行事に追われる中、植物単元をじっくりと楽しみ過ぎた罰がやってきた。
 空気と水の単元が残った!
 買ってしまった実験セットを使わなければ……。しかし、授業中にじっくり実験していては、時間的に間に合わない。(隣のクラスの教科担任もしていて、他の授業を理科にふりかえるという訳にもいかない。)
 家庭で実験してくることなどと、授業で使ってもいない教材を預ける訳にもいかない。
 悩んだあげく、学習に入る前に子どもたちにセットを配って、動きを待つことにした。
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 子どもたちは、朝・昼・放課後とセットで遊んだ。遊んだのである。
 教師にとっては学習。
 子どもにとっては遊び。    となった。
 セットが、子どもにとって楽しさのかたまりである「空気でっぽう」「水でっぽう」であったこともあってか、子どもたちは、数分間の休み時間も惜しんで、となりのあき教室に集まりポンポンとやっていた。
「先生、ここを押したら飛んだよ。」
「うん、そうなんだよ。」
 休み時間、子どもたちは、発見したことを次々に教えに来る。他の子がまわりを囲む。
「でもねえ、引っ張ったら、こっちへもどってきたよ。」
「どういうふうに。」 
「ほら、こうして………」
 私に発見したことを教えに来たのか、友達に説明しているのか分からなくなる。そして、私をさておいてセットを使って教え合いをしている。
 楽しさの中には男女の違いはない。男女まざって、スポンジの玉を当て合っていた。また、余ったダンボールを見つけてきては、的をかき、点数をつけてあてて楽しんでいた。
 時間的な問題さえなければ、教材は、できれば子どもの手作りのものが良い。しかし、このような「教え合い遊び」の場合、同じものをもっているということの意味は大きい。できる子からできない子へと確実に伝わっていくのである。教材を通して子どもたちがつながりをもち、教え合いながら「楽しく遊べる」のである。同じセットをもつということの意味を改めて考えさせられた。
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『空気をとじこめると、どうなるかなあ?』という教師の発問。
 今までであれば、子どもは家庭での生活体験を引用して発表するか、こうなるであろうという予想を発表していたであろう。
『じゃあ、実験してみようか』 
 実験は、みんな一緒のスタートとなっていたはずである。
  しかし、今回は違った。
「注射器でこうやってしたときは、ギュウってなったよ。」                        
「そうだよ。」
「どうやって?」    「こう………。」
「へえ~」「あっ、なった。」「なった。」
 教師の指示がなくても、子どもが教材を通して教え合いを始めた。
「大きいこれ(空気でっぽう)でもなるの?」
「空気だから同じじゃないの?」
『そうかなあ?』
「先生もしてみなよ。」
『うん。』
「先生、スポンジみたいのを入れてやると、小さくなるんだよ。」 
「うん、そうだよ。」
『どうして?』
「知らないけど、なるよ。ほら。」
「わー、おもしろい!」    「本当だ!」
  自分の行った事実をもとに、友達に気づきを広げていく。
「空気って小さくなるんだね。」
「違うよ。縮むんだよ。」
「小さくなっちゃうんじゃないの?」
「だって、もとに戻るもん。」
「本当だ!」  …………………
 休み時間にたっぷりと遊び友達に教える側になった子は、実に生き生きとしている。
 休み時間にセットを使って遊ぶことの少なかった子は、友達のすることを見ながら真似することによって実験方法を会得していく。
 じっくり考えながら取り組んでいる子。
 新しい方法がないか試行錯誤している子。
 様々である。
 私は、子どもに討論の形式を意識させて行って、うまくいったためしがない。力不足と言えばそれまでなのだが、そこに現在の子どもたちの姿が足りなかったのだと気づいた。
 最初から形を目指してはいけない。まず、子どもが何かをもとに友達と話し合う、~し合う、そこに生まれる会話を通して築かれていくつながりが大切なのである。
 子どもたちが意欲的に動き回り、あちこちでかたまって話し合う。その中にこそ話し合い活動の土台となるものがあるのである。
 教えてあげることが楽しい。教えてもらうことで自分ができるようになることがうれしい。教え合いから生まれる友達とのつながり。
 それこそが討論の土台なのである。
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│ 今までは、授業のために、仲間づくり・学級づくりをと言われてきたが、│
│仲間関係を高めていくために授業がある。                   │
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 昨年度の筑波大学附属小での研究発表で、露木和男先生からお聞きした言葉である。
 仲間づくりは、方法ではなくて目的であると気づかされた。すると、日々の実践の中で大きなゆとりをもてるようになった。
 教材を通して、討論を通して、子どもたちの仲間関係を育てていくという立場に立てれば、余裕をもって待てるようになるのである。
 春から担任した3年2組。まだまだ討論とまでは育っていない。授業の中では、育てることができていない。これからである。 
 しかし、ポンポンとスポンジの玉を打ち合ったあき教室では、休み時間毎にイスとりゲームやハンカチ落としなどを、十数名で男女まざって行っている。遊びのルールや方法の進化とともに、子どもたちのつながりは深まってきている。そこには、子どもたちの遊びにおける「討論」が存在しているのである。
 教材を使って授業の場に導き出すことが次の私の役目である。

 「楽しい理科授業」(明治図書)1999 12月号