低学年児の学習意識の確立―指導の観点 1年 [平成21年度実践]
書くことの楽しさを実感させる
① なんで、きにきずをつけるのかな?
② なんで、おすしかなかないんだろう?
③ どうして、ようちゅうのときは、とうめいなんだろう?
④ どうして、2ねんから7ねんぐらいもつちのなかにいるのかな?
⑤ どうして、たまごは、ほそながいんだろう?
⑥ どうして、1しゅうかんでしぬのかな?
⑦ どうして、セミは、さなぎにならないのかな?
⑧
どうして、ちょうのようにみをまもるために、いろがおんなじなのかな?
6/20
生活の時間にセミについてわからないことをいっぱい書きました。
問②どうして、鳴くのはオスだけなのかな?
よそう 私は、メスをよぶためかと思っています。
答え ○仲間をあつめるために
○メスをよぶため
○みじかい音で鳴くのは、ほかの鳴いているオスのじゃまをしている声
○オスだけ声を出すための大きな腹弁とか発音きん などがある。
問①なんで、木にきずをつけるのかな?
よそう たまごを木にうむために、ふかくきずをつけないと、たまごがおちるから。
答え メスがのこぎりのような強力なたまごを生むくだで、木にたまごを1つの穴に2~5こうむため。
問⑦どうして、セミは、さなぎにならないのかな?
よそう よう虫の形とせい虫の形がにているから、さなぎにならなくてもいい。さなぎになる虫は、さなぎの中でへんしんして出てくる。(たとえば青虫がちょうになる。)
答え しらべてみたけど、よくわからない。
不完全変態の虫の特ちょう
・幼虫の体のつくりが、せい虫とにているものが多い。
・幼虫とせい虫のえさが同じしゅるいであることが多い。
さなぎについてしらべなければならないと思いました。 6/21
*
1.授業のオープンエンド化から
冒頭の日記は、6月20日(土)生活科の授業で書いた「セミのはてな?」とその後の日記である。実物からの「はてな?」を大切にして、問いを残して終えるオープンエンドの授業形態は、このような追究を生む。「はてな?」は、学習意欲を高め、自らの追究をその記録として表したくなる表現活動を生む。学習意識の確立においてこれ以上の授業形態はないと確信している。
追究の記録は、授業へ生かされ、学級通信に掲載され、また新たな活動を生んでいくことになる。
2.書き方の指導
書く子を育てるためには、こうした授業形態だけでなく、あらゆる教科を通して書く場面、書き浸る時間を設定していく必要がある。まずは、質よりも量。目に見える量をほめて認めていく。
低学年の場合は、鉛筆を持つことに抵抗がなくなるように、有田和正氏の言う「鉛筆の先から煙が出るような速さ」で書く子を育てたい。そのためには、【ていねいに】【習った漢字を使って】などという指導は、控えなければならない。内容を一気に書き浸らせることが大切で、文体・字体などの「形」は別な時間に定着させていけばいい。
3.一気に書き上げる
きょう、まちやにおはぎをつくりにいきました。はいったら、たんすみたいなかいだんがありました。とてもきゅうでした。かいだんをあがると、かばんをおくところがありました。そこにかばんをおいて、エプロンにきがえました。それから、したにおりて、手をあらいにいきました。手をあらったら、また、うえにあがって、せきにつきました。だいがくせいのおねえちゃん、おにいちゃんと、つぶあんと、こしあんと、きなこのおはぎをつくりました。もちごめをぬれたたおるにつつんでつぶして、みんなにちぎってわけてくれました。ちぎってわけてくれたもちごめをまるくして、おにいちゃんがもってきてくれたあんこをつぶしてまるくしたあんこのうえに、もちごめをのせてつつみました。きなこのおはぎは、もちごめ、だんごがはんたいです。あんこのおだんごをもちごめでつつんでから、きなこをまぶします。
だいがくせいのおにいちゃんが、おはぎのおはなしをしてくれました。おはぎとぼたもちは、おなじものっておしえてくれました。
ぼたもちは、はるのおひがんにたべるものです。あずきは、ふゆをこすとかわがかたくなってしまうので、かわをとってつくるこしあんをつかいます。ぼたんの花ににているからぼたもちという名まえがつきました。
おはぎは、あきのおひがんにたべるものです。あきは、とれたてのやわらないあずきをつかうから、あんこはつぶあんをつかいます。あずきのつぶが、はぎのお花ににているから、おはぎという名まえがつきました。
ほかにも、なつには「よぶね」とか、ふゆは「きたまど」などとよばれます。おはぎのもちは、きねでつかないからペッタンペッタンという音がしないので、おとなりの人がつくっていることにきがつかないので「つきしらず」ともいいます。よるにふねがついてもわからないから、ついたことがわからないから「よぶね」といったり、月はみなみのまどからしかみえないから、きたのまどは月をしらないので「きたまど」ともよばれるようになりました。
おはぎもいろんなよびかたがあるんだなとおもいました。 9/12
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一年生のこの段階でこうした日記を毎日のように書いてくる子がいる。この子は、ある日の日記を数回の手直しをさせただけで全国コンクールの文部科学大臣賞の次点に入賞するほどの力のある子である。一気に内容を書き浸っている様子が、ひらがなの多い文に表れている。「習った漢字を使って書きなさい。」の一言で鉛筆を止めさせてしまってはいけない。
4.「はてな?」の追究
ツバキを持ってきた子が生活科の時間に発表した。
「ツバキは椿と書くのなら木に冬の柊はあるのかな?」
など話し合いの中で多くの「はてな?」が出された。
柊の字はあったよ。ヒイラギとよむよ。左のへんが木で、右のつくりがきせつをあらわす春夏秋冬になっていることに気づきました。
椿ツバキ 榎エノキ 楸ヒサギ 柊ヒイラギ
というかんじをかきます。
椿【ツバキ】 Yくんがもってきてくれたのは、赤いからヤブツバキで、ピンクや白、こい赤色のものもあります。わたしのおうちには、カンツバキとよばれるサザンカとのざっしゅとよばれるものと、サザンカの花がおにわにありました。とてもきれいです。ヤブツバキのみからとれるあぶらは、つばきあぶらといい、むかしの人は、いまのリンスのようにかみにぬってつかっていました。
榎【エノキ】 じんじゃの林などによく生えている木です。えだがよこに広がって丸い形になるのがとくちょうで、秋に6cmぐらいのオレンジ色のみをつけて食べることができます。ほしがきのようなあまみがあると本にかいてありました。
楸【ヒサビ】 ヒサギではのっていないから、いまのよびかたでアカメガシワならのっていました。ずかんのせつめいがむずかしいので、しゃしんの花やたねをはります。
柊【ヒイラギ】 ヒイラギは、キンモクセイやギンモクセイとおなじモクセイるいのなかまです。白いギンモクセイににた花をさかせます。ヒイラギは、ギンモクセイがへんかしてできたものとかいてありました。
もう1つ本を見てしったことは、ヒイラギのみがオリーブのみとよくにていて、よくにた木のなかまだとおもいました。はっぱは、形がちがうけど、みとたねと花はよくにていました。
「椿の花ふんは、だれがつけるの?」
虫が花のみつをすいにきて、そのときに足が6本あるから、椿のおしべはたくさんあるから、そのときに足にくっついて、つぎの花のみつをすうときにそのつぎのめしべに足についていた花ふんがひっついていくとおもいます。 1/8
教室での疑問を家に帰って追究する姿勢は、翌日の
「いえにさいているヤブツバキとカンツバキとサザンカをとりにいきました。そして、おしべとめしべがあるかみてみました。」
に始まる観察日記へと続いた。書くことが日常化すると、いろんなものに関連づけた「気づき」「見え方」が生まれ、自分発の新しい追究が始まる。
5.個性的な表現力
書くことが楽しくなると、調べ学習の中に個性的な表現を取り入れて書く子が出てくる。
今日、わたしがツバキになったつもりでツバキのことを書きます。
わたしの名前はツバキです。わたしのふるさとは、日本。いまでは、せかいじゅうの人気ものになってるけど、もともとはヤブツバキとユキツバキの2しゅるいだったのよ。学名といって、せかいきょうつうの名前は、カメリア・ジャポニカというんだー。わたしは、ほっかいどうよりみなみのあたたかいところがすきでした。なのに、なぜ冬のいまに花をさかせるとおもう? さくらさんなどの日本にむかしからある木は、夏から秋にかけてつぼみをつくって、9月ごろになると、そろそろ冬がきたなとかんじて、ふかいねむりにはいるんだー。そして、3月から4月になると、ねむりからさめて花をさかせるのよー。さくらさんたちは、ぐっすりねむれるのね。それにくらべて、わたしたちのねむりは、あさいのよ。だから、きおんのちょっとしたちがいにびんかんに目をさましてしまうの。そして、1月~2月に少しでもあたたかい日があると、花をさかせてしまうのよ。 そんなさむいときに、わたしたちの花ふんをはこんでくれるのが、とりさんです。そのとりさんたちのために、わたしたちは、いろんなくふうをしているのよ。
その①つが、わたしたちの花びらなの。ふつうの花のかんかくからみると、花びらがいっぱいにみえるけど、じつは下のほうでぜんぶの花びらがつながった1まいの花びらなの。だから、大きいとりが、わたしたちのみつをすいにきてぶつかるようなことがあっても、花はちらないのよ。
そして、②つめ花のねもとを大きながくでまもって、うちがわもおしべが、かたいつつのようにつきだしていて、とりがわたしたちのしょうめんからしか、みつをすえないようにして、とりさんに花ふんがべったりつくようにしているのよ。それで、とりさんたちに、花ふんをはこんでもらってます。
これで、お話はおわりです。
じっさいに、わたしが公園のツバキをのぞいてみたら、たくさんのとうめいのみつがあふれていました。それをなめてみると、にんげんでもすごくあまかったです。そして、手もかふんだらけになりました。とりたちにとっては、おいしいデザートみたいなものなのかな? いまでは、千しゅるいをこえるといわれています。 1/12
6.書くことの楽しさの実感を
書くことを楽しみながら行う習慣の定着は、低学年で身に付けさせたい大きなテーマである。特に、小学校の入り口である一年生、そこでしっかり定着させたい。
その場合、内容も表記も一緒に意識させて書かせることは、子どもに大きな負荷をかけすぎて、一番大切な「書く意欲」を失わせることになる。
漢字・常体・敬体・過去形・否定文・主述など、文を書く上で必要な学習技能は別の場面で指導していく。書いたものを清書するとき、そこでしっかり書ければそれでいい。まずは、書き浸らせて書くことの楽しさを実感させたい。
言語技能の習得に関しては「新国語科・言語技能を磨くワーク上・下巻」(明治図書)沼澤清一編著を使用すれば自然と身に付くものである。
「国語教育」(明治図書)2011 5月号