「学習習慣」の確立をめざす低学年生への助言
日記で追究の習慣化
私は、学習習慣の一番に、
「覚えて終わる学習」
ではなく、
「授業後も追究を続ける主体的な学び」
と位置づけている。
そのために、授業では、追究したくなるような「はてな?」を生み、終末を開いて終えるオープンエンドの形態を取り入れ、授業後の追究の記録である日記(自学)の習慣化を図っている。
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1.日記の書かせ方
長らく有田学級の「鉛筆の先から煙が出るように書く子」を目指してきた。つまり、
┌─────────────────┐
│ 一気に書き浸らせること │
└─────────────────┘
日記は、家庭での取り組みとなるため、低学年では、特に保護者の理解を得ることが大切となる。そのため、事前に、学級懇談会・学級通信で次のように伝える。
───── 【学級通信から】──────
日記スタート
10月28日(火曜日)から、子どもたちの連絡帳(日記)が始まりました。
これは、
上手に文を書くためのノートではありません。
ていねいに字を書くためのノートでもありません。
子どもたちの思考力を鍛えるためのものです。
誤字脱字があっても結構です。
「どういうことを書いたの? おもしろいね。」と誉めていただければ最高です。
努力を認めるためのノートです。
まちがっても、
「この字まちがっているよ。」
「習った漢字をつかいなさい。ていねいに書きなさい。」
と叱る材料にはなさらないで下さい。確実に作文嫌いの子になります。
┌──────────────────────────────────┐
│ 自分の考えを文に書いて表現することが楽しい。 │
└──────────────────────────────────┘
それを実感するためのノートです。
子どもたちとは、
毎日、十分間は集中して書こうね
最初は、三行は書こうね
と約束しました。
継続していくと、作文力、表現力、思考力、観察力などの力が自然と身につきます。ご理解、ご協力よろしくお願いいたします。
【次号の学級通信ポンポコポンから子どもたちの文をたくさん載せていきます。】
子どもたちのノートには、↓の紙が貼ってあります。最初は、◆からスタートして、□や◇で書けるようになると思います。そして、3ヶ月先には大きな成長がみられるはずです。
┌──────────────────────────────┐
│ いつのことを かこうか │
│①②のどちらでもいいよ! │
│┌───────────────┐ │
││① おうちであったこと │ │
││② がっこうであったこと │ │
│└───────────────┘ │
│ をおもいだして │
│ どう かこうか │
│◇どうしてだろう? なんでかな? │
│ ふしぎだなあとおもったことをかきます。 │
│ 「~~だからだろうな」もかけると、すばらしいよ │
│□そうか、わかったぞ! │
│ 「いままでしらなかったけど、こういうことがわかった│
│ よ。」ということ │
│◆こんなことがあったよ │
│ こころがあたたかくなるようなすてきなこと │
│ おともだちのこういういいところをみつけたよ │
│ おもしろいおはなし・たのしかったこと │
│ いろいろあるね。
│
└──────────────────────────────┘
東根小学校1年2組学級だよりポンポコポン№43 10月31日(金)
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子どもたちには、このお便りを見ながら分かりやすく説明する。
『ちょっとくらい字が曲がってても先生は読めるから大丈夫だよ。字を気にしないでいろんなことをたくさん書いてね。』
「ていねいに書かないと、お母さんに叱られるよ……。」
『ほら、お便りにもこう書いているから大丈夫だよ。』
「うん。」
この安心感が子どもの文を生む。ユニークな表現やおもしろい発想は、こうした安心感がなければ登場しにくい。
誉められるために書くのではなく、楽しく書いた結果として誉められる。低学年の子だからこそ実感できる意味のある学習習慣の体得となる。
2.日記の見方
書いてきた日記には、その日のうちにコメントを書き、そして、その日のうちに返す。教師の都合で一晩留め置くことなどないようにする。書き浸らせる機会を減らしては意味がない。
日記指導をしている教師の中には、子どもが書いてきた内容に対して、先生からの言葉をたくさん書いてあげることが仕事と思いこみ、長々と返事を書いている人がいる。子どもの「~はどうして~なるのですか?」という数行の質問にたくさんの説明を書いて「これ大変なのよねえ」と言いながら繰り返す。勿論、休み時間はノートの返事を書くだけで精一杯。これは、返事をもらい書くことの楽しさを知るための一時期の指導としては意味のあることではある。だが、答えは教師が書いて教えてあげるものという誤解があってはいけない。当然答え待ちの子どもが育つことになる。几帳面な教師に多い傾向で、やがて、面倒だという理由で日記指導が避けられていく。
また、逆に、「マルをノート一ぱいに書き入れる」だけの教師もいる。極端な者になると内容も見ないででかでかとマルを書くために忙しそうにページをめくっている。そういう時間を過ごしても何とも思わないのである。その子がどういう思いでそれを書いてきたのか等ということについては何も考えないから、「沢山書いたね」という量的な誉め言葉や、「また忘れたの?」という機械的な見方しかできなくなってしまう。やがて子どもも教師の姿勢を見抜き、無意味な内容を繰り返し書いてくるようになる。
「要は、『この子』の努力を認め、その伸びる芽を見つけだし、明日に向かう元気を出させるものでなければならない。」という長岡文雄氏の言葉に尽きる。
┌─────────────────────────────────────────────┐
│日記への助言、赤ペンは少なめにして、要点にふれるもの、鋭い「はてな?」 │
│に入れ、認めていく。
│
└─────────────────────────────────────────────┘
沼澤学級の最高のコメントは、太字マジックによる「すばらしい」である。年に数回しか登場しない「スーパーすばらしい」がこの上に位置する。
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帰りの会でその日の連絡の板書を写す連絡ノート兼日記帳。書き終わった子から私にノートを持ってくる。確認をしてシールを貼る。その時、その日の日記のコメントも伝える。短くても直接話すコメント・助言は効果がある。
3.日記の生かし方
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│・コピーしたものを教室に掲示する。 │
│・朝や帰りの会で読み聞かせをする。 │
│・学級通信に掲載する。 │
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私は、この3つを併用して、可能な限り日記を多くの子の目にふれさせてきた。良いところを認めることを通して関心を高め、継続した活動に位置づけていく。
日記での追究は、最終的には授業の場で生かされるべきであるが、授業以外での発表の場として、私は特に学級通信を利用してきた。子どもたちの書いてきた日記を中心にして学級通信を作り、活字による発表の場を取り入れてきた。その利点は、
①授業の少しの空いた時間、朝や帰りの会などで読み合わせをすることができる。
②家庭にも子どもや学級の学習の様子が伝わり、教材などで様々な協力を得たり、家族そろっての追究が生まれたりする。
③記録として残り、友達の追究を参考にした活動が生まれる。
④教師が日記をワープロで打ち直して印刷するため、雑な字や間違いを気にぜず安心して日記を書くことができる。
日記→通信の作成を3か月もすると、子どもたちの目の付け所、関心の変化、さらには、文章の癖までが、手に取るように分かるようになる。また、子どもたちが調べてきた「はてな?」を載せた通信だけで授業を進めることができるようにもなる。
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日記帳へは、日記へのコメント以外にも
「はっぴょうがじょうずになったね!」
と、小さな変化を見つけてコメントを書く。子どもたちは、何度も見直しては笑顔で自信をつけていく。親御さんへも伝わる。
「授業力&学級統率力」(明治図書)2011 2月号