学ぶ習慣を育てる社会科「宿題のすすめ」

 「はてな帳」で授業と授業の間を生かす


 復習的な宿題、練習的な宿題、予習的な宿題……どれも大切なものである。
 しかし、学ぶことの楽しさを体験させ、学習意欲を高めることを目指すには、宿題に子どもの思考力や発見力が生かされる生産的なものを求めなければならない。
A「資料を写してくる」のではなく、
B「資料を見つけて自分の考え・疑問」を書いてくる。
A「学習プリントに授業で習った消火栓と消火器の違い」をまとめてくるのではなく、
B「自分の家の周りにある消火栓を調べて感じたこと」を書いてくる。
 AとBの違いは何か。
 次の授業に生かされるか否かである。
 それ自身がゴールとなっている(書くことによって学習の終わりとなる)か、スタートとなっている(書いたことによって学びの始まりとなる)かの違いである。
 後者のような宿題を与えたい。
 それが、つまりは、学ぶことの楽しさを体験させ、学習意欲を高めることを目指す宿題になると考えるからである。
 知的好奇心を揺さぶられ、みんなに知らせたいもの、伝えたいものを見つけたとき、子どもたちはより意欲的に自らを励まし努力する。伸び伸びと追究する。
 その場を家庭学習に求め、日々の追究を楽しませてきたのが有田和正氏のはてな帳の実践である。
 私は、有田氏のはてな帳の実践の追試を続けてきた。14年間の実践を振り返って言えることは、間違いなく子どもに学ぶ力が身に付く方法であるということである。

 思考力や発見力を鍛えることは、結果として知識を増やし、子どもたちの学びを高めることにつながった。


 宿題を変えるには授業を変えることから
 はてな帳の実践をするには、ノートを与え「疑問を書いてきなさい」では無理である。授業そのものを変えなければならない。
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│①授業をオープンエンドの形態にする。│
└──────────────────┘
 有田氏は、これまでの授業を次のように述べている。      
(これまでの授業は)「未知(わからない)を、既知(わかる)に変えるもの」であった。つまり、「教え・わからせ・理解させる」授業であった。一時間の終わりには、問題が解決し、「なあんだ! こんなことだったのか」と安定した状態で終わるものであった。     
 これは、クローズドエンドで、閉じられた終わり方で、子どもが自らの力で調べることなどを期待するものではなかった。
 しかし、これでは、今日の授業から明日の授業へ続かない。間が生きない。子どもたちの希望もない。
                               【有田和正著作集(明治図書)p3】
 そして、有田氏は新しい授業を下図のように表している。

  つまり、授業が終わってから追究する子を育てるには、授業形態そのものをクローズドエンドからオープンエンドに変えるべきだと言うのである。
 筑波大学附属小学校での有田氏の授業を一度でも見たことのある人なら、オープンエンドの授業のすごさはここで述べるまでもない。
 子どもたちからのたくさんの「はてな?」を出させたままで授業が終わったときの驚き、そして、それが翌日の授業ではみごとなまでに解決されていくときの感動。授業と授業の間を生かす家庭学習(はてな帳)で前時の授業での「はてな?」がみごとなまでに解決されて、新しい「はてな?」が子どもの中から生まれてくる。
 その実践を目の当たりにした者にとっては、これ以上の家庭学習は考えられない。

 

 宿題を変えるには教材を変えることから
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│②調べたくなるような楽しいネタを授業に取り入れる。            │
└────────────────────────────┘
 子どもたちが「既知(わかっている・理解している)」と思っていることが、実は、表面的なことで、本質的には何もわかっていない(未知)のだ、ということに気づかせることにならなければならない。
 教え・わからせ・理解させるのではなく、わかっていると思うことをネタでゆさぶりをかけ、子どもたちに「あれ!」「わからないや」といわせるようにするのである。
 わかるかわりに、疑問を持たせたり、問題を引き出したり、追究しようという意欲を引き出したりする授業を志向するのである。子どもたちに「あれ!」といわせ、「調べてみたい→どこで、どのように調べたらよいのだろうか」と考えるように指導する授業である。
                                【有田和正著作集(明治図書)p4】
 有田氏の授業のネタは、すべて授業後の子どもたちの追究を導き出すものという一点に向けられている。
 私たちが、有田学級の子どもたちが書いたはてな帳の文を読むとき驚きと感動を覚えるが、その陰には、有田氏の深い教材研究と子どもを鍛える日々の授業がある。
 学ぶ習慣を育てる宿題を考えるとき、それは、決して学校での学びから切り離されたものではない。週5日制となり、授業と授業の間を生かすことは、以前に増して要求されることとなった。今こそオープンエンドによるはてな帳の実践が必要とされているのである。

 

 以上のような取り組みから生まれた日記

 

 さくらのつぼみ
 さくらのつぼみの中身は、緑色でした。皮をむくとたけのこみたいになりました。つぼみが、ところどこにあって、さいたらきれいになるのかな。花は、どんな気もちでさくのかなと思いました。あんな小さなつぼみから、大きい花がさくのは、すごいなと思いました。
 今日、家の中で花がさいていました。なんでかな。自分では、部屋の中があったかいからだと思いました。それとも、冬にさく花なのか、じいちゃんに聞くと、
「外では、さかないよ。」
と言いました。やっぱり、部屋があったかいせいだと思いました。よく見ると、けんざんにさしてあって、根はないのに花がさいているなんて、すごいなあと思いました。さくらもそういうふうに花がさくのかなと思いました。さいたらすごいな。ふつうは、根から水をすいとるのに、くきのと中からすうなんて、ほんとうになるのかな。
 うちの金のなる木に水をやってないのに花がまんかいです。聞いてみると、サボテンるいは水をやらなくてもいいそうです。水をやらなくてもさくなんて、ふしぎだな。
                              1/16 (3年 T・Mくん)
  ※比較しながら気温と水から植物を捉えている。桜の枝を切って冬芽の水栽培、「ビニールハウス(暖房のきいた教室)での栽培」を始めた時のものである。

                  *

 

 うちの台所に消火器がありました。お母さんにくふうしていることはないか?と聞いたら、火事になったとき、ささっともってきて、ささっとけせるように火事になりやすい所においているそうです。もえている近くには行けないので、台所の入り口においているんだそうです。 …[中略]…
 お母さんと沼沢(地区)をまわって、消火器や消火せんのおくところはどこかとさがしてみました。防火水そうというところがあって、そこに水をためているそうです。そこからきょりがある所に消火せんが必ずあります。それは、防火水そうから消火せんまでホースでつながっているからです。ホースから水が流れて、消火せんからでてるそうです。けど、川のところは消火せんも何もなかったです。川の水を使うからです。いっぱいくふうしているんだなとわかりました。 4/20 (4年 O・Aさん)
  ※学校で消火栓探しをすると、家族と一緒にこういう追究が生まれた。
 はてな帳は、学校と家庭とを結びつけていく。家庭の協力は、子どもが楽しんで追究する姿から、必ず得られるものである。

 「授業研究21」(明治図書)2002 8月号