有田和正の演出力に学ぶ

 

 既知→未知、オープンエンド、ネタ論など、授業における有田先生の演出はあまりにも有名である。今回は、その根っこの部分に触れてみたい。   

 平成2年、筑波の公開研で有田先生の「大名行列」の授業を参観した。子どもたちは前日まで奈良の大仏の勉強をしていた。いきなり江戸時代にとんでの公開研である。有田先生ならではのことである。           

 授業は、一枚の大名行列の絵を提示して、3つ以上のはてな?の発表から入った。 中村君が指名される。  

「これは参勤交代なんだから、藩主がいるんでしょ、こん中に。この藩主は何藩のどこから来た、何つう名前の藩主かということ。」       

『あっそう。中村、もう一つ。先生質間するけれど、大名の中に何か種類があったでしょう。 ………何?』  

「はい、あった。……御三家とか入れるの?……あっ、譜代と外様と親藩。」
『これ、どうだ?』        

「えっ、それは外様だと思います。」

『分かりません? ごまかしてます。 はい、〇〇さん……<他の子を指名>』 

 6年前、私は、授業を見ながらこの場面を理解できなかった。今日初めての江戸時代である。有田先生は、こんなすばらしい発表をどうしてほめないのか。この子は資料も見ずにどうしてこんなことを発表できるのか? 

 その後も、活気のある授業は進んだ。 しかし、 最後まで私の疑問は残つた。

 平成9年1月5日、有田先生を寒河江市に迎え、第3回有田先生と勉強する会を企画した。有田先生には講演の他にビデオを使ってのストップモー ションによる授業分析をして頂いた。その時、有田先生が選ばれたビデオがこの「大名行列」の授業であった。 

 授業開始から8分、中村君が言うあの場面にさしかかった。6年以上前の私の疑問が頭をよぎった。
 ビデオを止めての話し合いの中で、有田先生は、中村君が歴史にかなり詳しい子であることを話された。子ども一人一人に合わせて発問を変えているということも話された。
 有田先生のあの指名は、中村君が大名の種類について知っていることを分かっていてのこと。誰よりも中村君のことを理解し、彼の追究力を信じていた。だからこそ、挑発的に「分かっていない」を強調して終えたのである。 さらに有田先生は、      

 『調べたい問題は、調べたら終わる。納得いかない問題は、調べるとどんどん次につながる。』
というようなことを話された。    

 あの場面では、どういう種類の大名がいたかではなく、何でそういう大名ができたのかについて考えさせたかったのであろう。大名の種類ではなく、幕府の身分制度について子どもの視点を向けさせようとしている。
 やがて(3分後)、中村君の発表した親藩について詳しく調べた他の子の発表が続く。
「……大名の中でも、役割の違う大名があった……。」
 現在、子どもたち同士の話し合いで, 進む授業が高く評価されている。そこでは力のある子の存在は揺るがない。【力のある子には鋭くつっこみ、自信のなさそうな子には励まし支えながら】教師の的確な反応・指名が、子どもの個性を生かす。子どもたち同士の話し合いではできない教師の演出である。「演出」に最も必要なものは、児童理解である。確かな学級経営のもと、日々の児童理解があって、初めて演出が可能なのである。     
 有田先生の授業は、はてな帳などによる日々の児童理解の積み重ねの上に成り立っている。児童理解をしっかり行っているからこそ子どもの登場する場面を演出することが可能なのである。
 様々な有田実践の形式だけの追試では迫れない大きな根っこがそこにある。

 「授業研究21」(明治図書)1997 6月号