学級PTAを活性化するネタ  私の「PTA見直し」作戦

 教材研究を超え、人生の師として

 

 原稿依頼を受け取った7月末。私の夏休みの予定表には、保護者の方々との懇親会 が記されていた。           
 (8月3日夕方6時 新庄市にて 酒)
 笹昭一氏が毎年夏休みに企画して下さる会である。私にとって、夏の楽しみの一つ になっている。            
 現在の私の勤務校は東根。自宅は天童である。新庄は、私のかつての勤務地であっ た。自宅から新庄市までは、車で一時間を越える。               
 笹氏は、新庄市立泉田小学校での私の担任学級の評議員であった。かつての学級P TAの代表である。          
 笹氏が企画した会とは、子どもが卒業して今年で3年目の学級PTAなのである。 
 子どもたちが卒業して3年間も過ぎると、保護者に気がねをするものは何もない。酒の席故での気軽な会話が、実に快いだけである。私にとっては、時間をさかのぼって自己反省と多少の自己満足に浸れるひとときである。この会には、毎回招待を受けて当時の学校長青木誠氏も快く参加して下さる。青木氏を慕ってこの会に参加される方も多い。気がねなく集まることができるのは、笹氏の人柄によるところが大きい。 
 私にとっての泉田小学校での思い出は、当時の教え子・同僚と共に、私を育ててくれた保護者の方々とのPTA活動そのものである。

 新庄は人情の厚い地域である。その前の卒業生の保護者の方々とも、卒業後3年間同様の会を行った。最後は、
 「次は、成人した子どもたちと一緒に酒を飲みます。」
と言って別れた。
 思えば、保護者とのつき合いに肩の荷がなくなった頃、私のPTAとのつながりは大きく変わってきた。
 新任当時の私は、違った。
 保護者に後ろは見せたくなかった。
 肩肘張って、文句を言わせまいと頑張っていた。当然、無理なことを一人でしょって立つようなものであった。何事も自分でしなければと考え、PTAに頼ることは考えなかった。それは、無能な教師のすることとさえ思っていた。だから、PTA活動は苦痛であった。
 泉田小学校に転任し、その大らかな地域性と、私を受け入れてくれる度量大きな保護者の方との出会いが、私に、PTAに頼る術を教えてくれた。
 「笹さん、学年の田んぼの消毒、どうしよう。」
 「ああ、家の田んぼの近くだから、ついでにしてけっか?」
 「いつも、わるいにゃあ。」
 毎度のようなお願いであった。
 「子ども達と学校に泊まって、肝だめしや花火なんかしたら、面白いでしょうねえ。」

 「いいなあ。おれ、校長さ話してけっか?」
 「笹さんから話をされたら、一発だやあ。」 
 肝だめしのおばけ役と翌日の朝食の準備は、学年PTAの活動となった。       
 保護者の方々には、PTA活動で多くのことを学ばせて頂いた。そればかりでなく、研究の方法をも学ばせて頂いたように思う。                  
 私の勝手なお願いを受け入れ、いつも全面的に協力してくれるのをいいことに、実に様々な経験をさせて頂いた。       
 肉牛の競りを見に連れていってもらい、そこで見た、牛を飼う人、売られる牛の姿。 
 第二次大戦時、弾薬を抱え命がけでソ連の戦車を待った話。牛の出産時に呼んでもら い、縄をかけ一緒に引っ張った子牛。稲作・きのこ作りの苦労話、裏話。‥‥  
 それらを通して、知識に頼らず、自分の目で地域を見て、そこから学んだことを授業づくりに生かすことの大切さを教えて頂いたように思う。

 教材研究を越えて、人の生き方を学ばせて頂いたようにも思う。
 まだ、外米が日本に入ってくる前に、カリフォルニア米を教室で炊いて食べた。どうやって手に入れたのか、農協に勤める保護者の方がわざわざ届けて下さった。
 PTAは、両親と教師が協力しあって、子どもの教育効果を高めようとして組織される父母と教師の会ということになっている。

 「これは、~~君のお父さんに教えてもらったことなんだけど‥‥‥。」     
 「ええ?、先生、知らなかったの~。」   
 「うん。」                
 「へええ‥‥‥。」            
 授業で保護者の名前を出し、子どもと同じ高さで学ぶ姿勢も教えて頂いた。常に教師が全て知っている、という姿勢からの脱皮ができた。私の授業観が変わった。    
 授業の活性化を図るには、教師主導の授業ではいけない。子どもの手に委ねなければ いけない。               
 昨今言われる言葉である。これをPTAに置き換えてみると、次のようになる。┌─────────────────────────────────────────────┐
│  学級・学校の活性化を図るには、教 師主導の学級・学校ではいけない。   │
│     PTAに委ねなければいけない。                                                                                    │  
└─────────────────────────────────────────────┘

 勿論、可能な範囲で、である。    
                   
 8月4日、飲み過ぎた私は庄司信弘氏の家で伸びて朝を迎えた。庄司氏は、大人としての生き方を私に教えて下さる人生の先輩であり、かつての保護者である。   
                   
 PTA活動を通して生まれた保護者とのつながりは、今の私の大きな財産となっている。それは、教材研究での師であり、また、人生の師でもある。

 

        
 平成4年9月、泉田小学校で有田氏に授業をして頂いた。授業前日、私は、山形空港で有田氏をお待ちした。山形空港に着かれてから、有田氏は、偶然同じ飛行機に同乗していたかつての教え子と保護者の方に気づき、短い会話をされていた。‥‥‥‥

 翌日、私は、山形空港へ有田氏をお送りした。すると、ロビ-には前日の教え子と保護者の方が待っておられた。わざわざ有田氏に会いに来られたのである。かつての保護者と教師が、子どもをはさんで、ロビ-で笑顔で話をされていた。搭乗までの数分の間、一目会って話をするために、わざわざ飛行場まで来られたのである。出発便の時刻まで調べて‥‥
  有田和正氏の名人の域は、決して授業に限ったことだけではない。有田氏の教師としての一面を垣間見た思いであった。

 

 教師と保護者は子どもを育てる目的のもとにPTA活動を行っている。子どもが卒業した場合、その関係はどうなるであろうか。卒業した後まで教師と保護者の関係を引きずる必要はないと考える方もおられる。それはそれでいい。
  しかし、私は、子どもの卒業や、担任が終わると同時に教師と保護者とのつき合いも終 わる、そういう仕事上のつき合いで人間関係も終わってしまうことに、寂しさを感じるのである。

 

  「授業のネタ 教材開発」1995 12月号