学級経営の面白さとむずかしさ  

  学級担任が学級経営を意識するとき


 学級を経営するとは、どういうことか。

 利益追求のないのが教育ではないか。
「経営」、私は、長い間、この言葉に抵抗を感じ続けてきた。
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│ 経営………組織・手順・利益などを考えて事業などを行うこと。また、そ│
│のためのしくみ。                (旺文社国語辞典) │
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 しかし、この頃、年と共にその言葉の意味の重さを感じられるようになってきた。
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 学級担任の面白さは、子どもとの直接のつながりを継続してもてるという所にある。
 その中で、子どもの目を通しての発見、授業での驚きの共有、成長の実感、教材開発の楽しさ、行事での盛り上がり、様々な問題を乗り越えたときの達成感………学級担任の面白さは数えあげたらきりがない。
 それらが、個々に機能しているとき、つまり教師が全体を通して捉えようとしないとき、学級経営という言葉に抵抗を感じるようだ。まさに、若い頃の私がそうであった。個々の活動・出来事に勝手に満足して、一つ一つにつながりをもてず、子どもを追い立て、そして私自身いつも何かに追い立てられていたように感じられる。
 年間通しての目標をもち、その目標のもとに取捨選択を行い、担任として一貫性をもって捉え直すことができたとき、学級経営が成り立つ。今、私はそう解釈している。
 学級担任をしていれば、学級経営をしているということにはならないのである。
 学級経営を意識して学級担任を行うことができるようになると、子どもの成長を時間をかけて見守ることができるようになる。そうなった時にこそ、子どもを育てることの面白さを実感することができる。
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 学級経営の難しさを感じる時とは、子どもと教師の判断が一致しなかったり、一つの出来事において互いの評価が分かれたり、共に喜び合えなかったりする時である。
 つまりは、教師の指導が子どもに入らない時である。子どもが教師を受け付けない時である。
 そんな時に、どんなにすばらしい目標を掲げてみても、計画してみても、砂上の楼閣、机上の空論である。
 時代と共に、子どもは多様化してきている。より教師の指導が入りにくくなってきている。
 しかし、日々の生活の中では、例え子どもたちに嫌われようとも、やらせなければならないことがある。また、厳しく注意しなければならないこともある。
 子ども主体の言葉に乗せられ子どもの意のままに行い、表面上の生き生きさで満足するようなことがあってはいけない。
 その学年としてのねらいがあり、その学級としてのねらいがある。担任として個々の子どもに身に付けさせたいものがある。
 子どもに寄り添いながら、共にそれらを乗り越えて行かなければならない。
 そこでの葛藤こそ、学級経営の難しさである。そして、醍醐味なのである。

 「授業のネタ 教材開発」(明治図書)2003 1月号