子どもの生活習慣・学習習慣に問題はないか 
 学校と家庭での意識面での切れ

 この頃、特に子どもの宿題などの忘れ物が目立つ。うっかり忘れたというのではなく、完全に頭の中から消え去っていたという忘れ方である。しかも、同じ子が毎日のように忘れる。どんなに連絡帳にしっかり書いて行ってもである。
 下校と共に「切れている」のである。
 子どもの「感情面での切れ」が問題にされているが、
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│ 子どもの学校と家庭との間の「意識面での切れ」の方がもっと深刻である。    │
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 子ども達の毎日は忙しい。
 学校から帰ると塾や習い事、スポ少など、あらゆる予定が組み込まれている。
 その場その場での違った活動に対して思考の分散化は仕方がない。
 しかし、違った活動をしながらも、どこかで立ち止まり、全体を捉えての見方ができる子どもになってほしい。
 水の学習をしていれば、教室の中だけで答えを見つけるのではなく、スイミングのプールの水管理の仕方、塾の建物内での水の循環システム、駅での水の使われ方などに、ふと目がいく子どもにしたい。
 ある視点で関連づけて見ていくと、それまで違うように見えていた別々のものにつながりが出てきて、それまでと違う世界が見えてくるという実感を捉えさせたい。
 この力が、時間に追い回されているような現在の子ども達に欠けてきている。学習内容の関連づけができないから、メタ認知的な物の見方ができない。
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 「学習の生活化」と言うと、生活に即した学習こそが子どもに必要感を生み、学習の必然性を導き、最終的には知識の定着を図りやすいと、その課題の出発点、内容面が強調される傾向にある。
 また、課題を教師側から提示するか、子どもの生活場面に求めるかなどと容易に比較してしまいがちであるが、そこに子どもの捉え直しが必要になってきている。
 多くの場合、子どもが授業後に家庭で調べてくるようにさせること、つまりは、授業と家庭での思考の継続が図られることは、かなりの困難が伴うものである。授業の名人有田和正氏でさえ、次のように言う。
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│ 社会科の授業だけ指導しても、調べるようには、なかなかならない。│

│全教科、生活面まで含めて指導をしていかないと、とても調べるように│

│はならないのである。                      │
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                    「すぐれた授業とはなにか」佐伯胖他著(東京大学出版会)
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 授業作りにおいて、
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│A.生活の場面からの「はてな?」(問題発見・気づき)            │
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を導くためには、まず、
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│B.授業と家庭での思考の継続      │
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が重要だと感じるようになってきた。
 生活場面からの「はてな?」(問題発見・気づき)は、授業と家庭での子どもの思考の継続がなければ成り立たない。
 能力のある子の個人的な「はてな?」ではなく、学級での関わりを持った追究を導く「はてな?」は、授業と家庭が切れていては成立しない。  
 Aを求めるには、まずBを子どもの中に成立させなければならない。


 学校と家庭との思考の継続を図るもの
①宿題
 四月の宿題は、学校の授業で使ったプリントと同じものを印刷して配布する。
 こうすれば、まず一回、授業で書いて詳しく説明を受けて間違いを直しているので家庭でも書きやすい。
 また、同じプリントが宿題になるということが分かっていれば、子ども達は授業での説明・間違い直しも一生懸命に行う。
②おたよりノート
 学級でおきたその日の出来事を家庭に伝える。新鮮な話題提供は、家庭での親子の会話を生む。当然、子どもは、学校での様子を思い出し、詳しく伝えることになる。
③学級通信
 学校での子ども達の様子を具体的に知らせ、学校と家庭をつなぎ、子ども達の思考の継続を図る土壌を築く。
④日記
 家庭で書くのであるが、一日の出来事の羅列ではなく、
・学校のことを思い出して書く。
・授業での「はてな?」の追究を書く。
・家での出来事を学校の学習内容に関連して捉え直して書く。
・授業に関連した「はてな?」の発見を書く。
 このように仕向けていく。
 これらの過程で追究する子が生まれ、
 学びの楽しさを実感する子が生まれる。
 授業のネタが生かされる。
 オープンエンドの授業が可能になる。
 子どもの思考に、授業を中心とした学校での生活と家庭での生活の間に垣根がなくなり、そのどちらをも自由に行き来することができた時、学習の生活化が図られた状態と言えるのではないだろうか。課題の出発点と内容を生活の中から取り出せばいいというものではない。
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 私が、嘗て学級崩壊寸前のような学級を担任したとき、殊更特別な方法を取り入れた記憶はない。これらが学級の「荒れ」を防ぐことになっていたのだと、本稿を書きながら再確認しているところである。
 追究する子ども達が存在する学級に、荒れは存在しない。

 心を育てる学級経営(明治図書)2005 5月号