2010.6.27

 日本生活科・総合的学習教育学会

 第19回全国大会 京都大会 自由研究発表

 1年の生活科における植物単元の実践
       立命館小学校教諭・立命館大学産業社会学部非常勤講師  沼澤 清一

  見えるものを通して学び、
 見えないものを見えるようにすること。
 それが学習である。
 しかし、本当の学びとは、そうやって分かるようになったものにあるのではなく、そうやってできるようになった過程の中にあるのではないだろうか。
 植物の学習を通して身に付けた高度な知識よりも、「はてな?」を見つけながらそれまで見えなかった世界が見えてくる楽しさ、その実感と、学び続けていく姿勢に意味がある。
 見えないものが見えるようになったことで完結させるのではなく、見えないものが見えるようになったあと、さらに、その先の見えない世界に向かって学び続けていく。そういう学びを身に付けさせていきたい。
 本発表では、そのために、1年生の生活科での学習内容、特に植物に関する内容をどのように取り上げ実践してきたか、学びのプロセスをどのように築いてきたかを示していく。

 

 尚、本実践は、
○授業のオープンエンド化
○朝の会・帰りの会での話し合いの場の設定
○日記帳による追究
○日記や授業記録を中心に掲載した学級通信での家庭との連携
が土台となって行われている。植物内容だけでなく、他の内容でも子どもたちの追究をもとにした授業形態を組んでいる。

 

■発表の一部「アサガオ」から
1.植物から学ぶ
 アサガオの栽培では、
   タネ→発芽→双葉→本葉→つる→つぼみ→花→実→タネ
と、一連の流れを短期間に観察することができる。しかし、1つの事例からだけでは、
   芽 = つぼみ 
 1つの芽 = 1つの花 
という固定観念を持ってしまうことになりかねない。それは、アサガオを知ることになっても、アサガオを通して植物から「生命の不思議」を学ぶことにはならない。価値ある気づきは生まれにくい。

 


  2.見えないものを見える世界に
 アサガオの水栽培
  鉢によるアサガオの観察では、土に隠れてタネの発芽の様子を見ることができない。
「タネを埋めたら、芽が出てきた。」
というブラックボックス化した世界になってしまう。
 右の様な「ぼうし」をかぶったアサガオを見つけ、『この「ぼうし」は、何か』という疑問が生まれた。そこで、カップに脱脂綿、タネを入れ、水栽培を始めた。
「土がなくても大丈夫なの?」
「土がないと出てこないよ。」
 曖昧な知識は、体験を通して捉え直させていく。

   その後、タネが割れて出てきた芽を「角」と称し、『角は何になるか?』という話し合いになった。子どもたちは、「葉っぱ」「茎」「根」という言葉を口にする。言葉として知っている「名称」に確かな意味づけが行われていくことになった。そして、最初に出てくる「角」が根になること、タネが地上に上がり「ぼうし」はタネの殻であること、観察を通して植物の生態について目を開かされていった。
 アサガオのタネの観察と平行して、家から持ち寄ったいろんなタネの発芽の観察も行った。リンゴ、ビワなど様々なタネの発芽を通して、子どもたちは、双葉がアサガオ固有のものではなく、総称する名称であることを理解していった。実物を通して言葉の意味を自分の中に位置づけていくことになった。自由に発芽の観察をしながら、「タネ」というものの不思議さ、その存在に気づいていくことになった。…………………………………
                    *
 やがて、秋、タネの秘密と称して、植物がタネをつける目的3つを導き出した。
①数を増やす。
②遠くへ行く。
③□□□□。
 特に、③は、植物のメタ認知を導くために画期的な視点であると考える。