子どもに「話し合い・討論」の力をつける訓練・指導のポイント                
 「聴き方」どう訓練・指導するか

 

 次のような場合、私は話を良く聴いている。
①その話題に興味・関心が高い時。または、逆に自分の知らなかったことでおもしろいなと思った時。
②その内容に対する質問・感想などを自分が後で言うことになっている時。
 では、子ども達はどうか?
 一方的な受け身の立場で話を聞く時は、①でなければ聴けない。また、②でも、自分の発表が終われば他人事になってしまう。
 では、どうすれば聴く力を高められるか。
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│③問い合うことの楽しさを実感させる。│
└──────────────────┘
ことである。自由な雰囲気の中で、
  話す→聴く&尋ねる→答える
ことができるような場をつくり、その楽しさを味わわせるのである。
「聴く」ということは、相手の話の全面受け入れではなく、「自分の考え・問い」を生む行為である。つまり、聴くということは、問うことの始まりなのである。
 友達や教師に尋ね、そして、答えてもらう。その繰り返しの中でこそ「聴く力」は育っていく。
 私は、聴き方の練習を朝の当番の話で行っている。
 朝の会の当番の話。その日の日直が話をして、司会をしながらみんなからの質問を受けるというどこでも行われているものである。
 しかし、ただ1点次のことにこだわると大きな違いが生まれる。
 発表者の発表内容よりも、発表者と発表を聞く子のつながりに重点をおく。
 問われるべきものは、完全な発表の仕方、完全な聴き方ではない。互いに支え合うことのできる不完全さの共有である。補い合える互いの存在の確認である。それらを通して初めて「聴く子」が育つのである。
                  *
  当番の話 7月14日(金)<2年生>
S  【昨日、ご飯を食べてから網戸を見たら、ニイニイゼミがいました。何か質問はありませんか】
A  「何でニイニイゼミだと分かったんですか?」
     「うんとね、本見たらさ、ニイニイゼミとそっくりだったから。」
T  『本、見たんだね。』
B  「じゃあ、ニイニイゼミは、何と鳴いていたんですか?」
    「雌だったから、鳴きません。」
C  「そうだよ、雌だと鳴かないんだよ!」
B  「すずむしと同じだよ。」
     『セミは、雌だと鳴かないの? ほ~』
A  「オスが雌に鳴くんだよ!」
D  「夕方に少しだけ三角公園で遊んで、三角公園にある大きい木のところに近づいてみたらセミの鳴き声がして、もっと近づいてみたら鳴き声が聞こえなくなりました。」
     (そうだよ。近づくと鳴かないんだよ。)
E  「家のばあちゃんは、虫をいっぱい持ってきます。」
F  「そのセミはどうしたんですか?」
S  「うんとね、飼おうとしたんだけどさ、お父さんが逃がせって言ったから逃がしました。」
C  「そうだよ。一週間か二週間しか生きられないんだよ。」
G  「ニイニイゼミはどのくらいだったんですか?」
H  「書いてみて………」(書いてみて!)
I   「それって見たことない、僕。」
      ……Sくん黒板に書く……

   (ちっちゃい~)
J  「僕は、前、網戸が壊れて虫が入ってきました。」
K  「何で雌だって分かったんですか?」
     「鳴かなかったから……」
C  「でもねえ、オスでも近づいたら鳴くの止めるんだよ。」
K  「うちんちにセミの抜けがらがあったから、今鳴いているよニイニイゼミ。」
     『セミは何を食べるんでしょうか?』
L  「みつ。木の蜜だよ。ここにストローみたいの………」
M 「ストローみたいのをさして飲むんだよ。」
L  「そうだよ!ストローみたいな何かあるんだよ。」
B  「バルタン星人みたいの」
L  「そうだよ、口にあるんだよ。口に。」
     (チョウチョもだよ!)

      ………<中略>……
N  「私は、こないだ気づいたんだけど、お母さんとお風呂に行ったときに、それで上がってからセミの鳴き声がして、6時30分頃になったら、鳴きやんだのね。あともうちょっと聞いてたんだけど、まだ鳴かなかったから、夜になったら鳴かないのかな?」
     『あっ、何?』
N  「夜になったら、鳴かないのかな?」
L  「朝早くのセミはいるよね。」
H  「朝早く行ったらねえ………」
     『セミは、夜鳴かないってことね。』
M 「先生、ニイニイゼミってね、朝早くでないといないんだよ。」
    『おもしろいねえ。』    ……<略>……
               *
 みんなで話し合うことの楽しさを実感できる子は、良く聴く子である。そして、良く聴く子は、自分の登場場面を良く心得ている。
 良く聴いていても話し合いにまざることのできない子もいる。そういう子のつぶやき、日記の文にみられる小さな変化をどこまで教師が見取ることができるか。それが、子どもの「聴く」姿を支えることになっている。
 話し合い活動は、教師の発問の是非を問う前に、子ども達の集団としての親和力を問うべきではないかと、この頃強く思う。その親和力がなくては、友達に問えない。つまり、聴けないのである。当然のことながら、学級づくりがその根底にある。

   「楽しい理科授業」(明治図書)2000 10月号