子どもが学習材を開発する授業づくり   往信                         
  有田和正先生の授業から学ぶもの 

           山形大学大学院教育学研究科(東根市立東根小学校)沼澤 清一

 

 拝啓 
  有田和正先生
 大学院に来て担当教官の滝澤利直助教授のご指導のもと上田薫著作集を購入して読んでいます。深い理論に感動させられるばかりです。「知られざる教育」は有田先生の愛読書とお聞きしました。読む度に違った感銘を受けます。有田先生の実践の根っこがそこにあるような気がします。そして、総合学習の真の姿もそこに発見することができました。

「子どもが学習材を開発する授業づくり」というテーマを頂きました。
 新しい視点から有田先生の実践を学ばせて頂く機会を得ることができました。

 

○「道具」ではなく、「学習材」
 授業をオープンで終えた後の子どもたちの追究から考えてみます。
 子どもたちが疑問を持って追究していく時に調べた対象が、疑問を解決するための「道具」となってしまうことが多くあります。調べ学習の対象を自分の疑問一方向から見てしまうからです。調べ学習を終末として直線的にとらえてしまうのです。
 子どもたちの追究における対象が答えを導き出すための「道具」となっているのです。
 私のような者が有田実践の追試をしているとよくあることで、反省させられるばかりです。もっとも、疑問を解決するということだけから考えれば、それも良いのかもしれませんが……。
 有田学級の子どもたちの追究を思い出すとその違いは明確です。
 有田学級の子どもたちは、自分の疑問を解決するためにいろんな対象をとらえながら追究していく過程で、その中に入り込んでしまいます。追究は終末ではなくて、それ自体が楽しみのスタートであるという姿勢を感じます。だから「はてな?」を解決するという一面だけでその対象をとらえることなく、多面的にとらえていきます。一度追究の対象となったものは違う場面でも活用できる柔軟性を身につけています。自分の中の図書館にセットしていつでもどんな場面(教科)でも取り出してこれるようになっているのです。
 つまり、調べ学習の対象・事柄が「道具」としてでなく、学び続けていけるもの「学習材」となっているということです。
 子どもたちは追究の過程で様々な学習材を生産し続けていきます。
 有田先生のどのような指導が子どもたちをそうさせたのでしょうか。
 
○有田学級の発表
 有田学級の子どもたちの発表は、自分で調べたり・見たりしたことへのこだわりが強く出ます。発表には常にしっかりとした根拠があります。
 そういう発表になるような有田先生の明確な指導がみられます。
 曖昧な発表には、
「証拠はあるの?」
という挑発的な言葉が発せられます。
 テレビで見た、本で読んだということよりも、自分の足で手で目で調べたことが何よりも優先されます。そういう調べ学習を奨励されています。
 ですから、子どもたちは自分の根拠をもとにした活発な話し合いをします。そして意見が戦わされます。その中では、単に知っているという程度の知識は簡単に吹き飛ばされてしまいます。
 子どもたちの調べ学習の深さと発表の仕方には大きなつながりがあります。子どもたちが自分の調べた対象にのめり込み、学習材として存在するまでの幅広い追究が行われる秘密がここに隠されています。

 

○「はてな?」の与え方
 有田先生は子どもたちの「はてな?」をみんなの「はてな?」としては絞りません。黒板いっぱいに書かれた「はてな?」は、確認はするけど絞りません。まとめません。
 だから、子どもは自分の経験と照らし合わせて一番ひっかかりの大きいもの、自分にとって追究しやすいものを自分なりに調べてこれるのです。あのような自由な追究を生み出す秘訣がそこにあります。
 みんなの疑問と称して、子どもたちの疑問を一般化させ、子どもの追究の意欲を低下させてしまう授業を良く目にします。その後に授業を開いて終えても、子どもの追究は「道具」探しで終わってしまいます。みんなの考えを大切にしているようで、個々の追究意欲を弱めています。そんな中からは個性的な追究はうまれません。
 有田先生は、授業で子どもたちに沢山の「はてな?」を導き出させ、家庭での追究をはてな帳に書かせることによって授業と授業の間を生かす指導をされてきました。私は、有田先生の授業は、はてな帳を書かせるために行うとさえ感じています。
 追究のテーマの絞りこみをしないことが子どもの追究を広げているのです。
 そこでは、教師の力量が問われます。
 子どもが調べたり気づいたりしたことを授業の中に価値づけていく大きな役目を背負っていかなければならないからです。子どもの追究が統一テーマによるレールに乗った答え探しであれば、教師は先が見えて安心していられます。子どもだってそうです。歴史の調べ学習で参考書を丸写ししてくる子は、答えを見つけて安心している段階なのです。教師はオープンエンドのつもりでも、子どもは家庭で閉じてしまっているのです。
 家庭での追究の中から新しい「はてな?」を発見し、楽しんで追究を再スタートさせることができる時、その子を追究の鬼と言えるのだと思いますが、そこには追究を楽しみ学習材を開発し続ける子どもの姿があります。
 その追究の導き方として有田先生は長年授業のネタを主張されてきました。それについてはここではあえてふれません。別の視点から考えてみます。

 

○教師の姿
 ものに関心を持たせるために、有田先生は昨年度の村山市での第四回有田先生と勉強する会で、次のようにお話されました。
『‥‥それから一年生で信号機調べて来る時、どこに信号機がある。よし行こう。もう大抵の時はみんなで授業を止めて、みんなで信号機を見に行きます。ほとんど行きましたね。学校の回りをくまなく歩きましたから、そういうふうに何かが出てきたら、よしそこに行って調べてみよう。そういう動きを子どもと一緒にやって積み重ねないとだめだと。子どもが書いたものだけを信用しないようにすることだと思うんですよね。やっぱり自分の目で見ないと納得できない子どもにする。‥‥‥。』
 有田先生は、教師の指導としてお話して下さいましたが、有田先生ご自身が調べることを楽しんでおられるのが良くわかりました。
 調べることが楽しい。
 その姿勢は、子どもに追究過程で対象を道具としてとらえさせることなく、調べること自体に喜びを与え、調べる中での新しい「はてな?」の発見を導くことにつながるのです。
 子どもの意識をそこへ向ける教師の影響の大きさを感じずにはいられません。
 私は、有田先生と勉強する会の実行委員として見学にご一緒させて頂いた寒河江市のバラ園、東根市のけいおう桜での見学、また私の勤務校に来て授業をして頂いた時の移動時の車中で、またはお酒の席で、有田先生のお話を沢山お聞きすることができました。有田先生のお話は豊富な話題で楽しくて勉強になることばかりなのですが、ものの見方・学び方を教えて頂けることが何よりの勉強だと思っています。
 それは「こうするんだよ。」という教えではありません。楽しそうに話される、興味を持ってメモを片手に調べられる有田先生のお姿から学ばせて頂くのです。
 きっと有田学級の子どもたちは有田先生を見ながら調べる楽しさを体の中にしみ通らせていったことでしょう。授業中だけでなく休み時間、給食の時間、朝夕の会など、「はてな?」を発見することの喜びを、追究することの楽しさを体全体で会得してきたのだと思います。
  奈須正裕氏の総合学習についてのお話の中に、
「総合学習は教師のやりたいことをやればいい。教師がやりたくないことはしない。子どもがやりたいからといって無理をしない。子どもと教師が一緒にやりたいことをさがしてやる。すると教師も伸びる。教科もかわってくる。」
という言葉がありました。子どもの気持ちを大切にするあまり、教師が無理をしすぎ楽しさを感じ得ない、続かない実践では意味がないということなのでしょう。
 教師が身をもって追究する楽しさを子どもたちに広める。そういうことを抜きにして、指導方法だけを考え、追究方法だけを子どもたちに教えても(気づかせても)子どもが学習材を開発するという域には至らないのだなと思いました。
 教師が楽しんで追究する姿を子どもに見せないで授業のネタや技術だけを視野に入れて授業づくりをしていては大きな部分が欠けてしまっているのです。
 有田先生のご著書に登場する体重計を持ってエレベーターに乗り込み、上下移動の際の体重を計る子のお話。そういう追究が生み出される土壌には、有田先生のものの見方が乗り移っています。
「それが何の勉強(単元)とつながるの?」というレベルで考えられる方にとっては生涯分からない域だと思います。

 私は、昨年度初めて一年生を担任しました。楽しい一年間でした。また、子どもを見る目を鍛えられた一年間でもありました子どもと一緒に遊ぶことから始め、「はてな?」探しなど楽しい授業づくり・明るい学級づくりと有田実践の追試をしました。おたよりノートの威力も十分に確認できました。はてな帳は十月下旬から始めました。二ヶ月もするといろんなことが書かれてくるようになりました。
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│  みのむし                 F・M                                                         │
│ きょう、学校からかえったら、おかあさんが、みのむしをみせてくれまし│
│た。みのむしは、おうちのそとのかべにくっついていたそうです。みのむし│
│はどうやってあんなにじょうずにみのをつくったのかな。みのをきたまま、│
│かべにのぼっていくのかなあ。のぼりにくくないのかなあ。せんせいは、み│
│のむしがかべにのぼるところや、みのをつくるところをみたことがあります│
│か。わたしはみたことがありません。一どでいいからみてみたいなあ。もし│
│かしたら、みのむしは、とってもはずかしがりやで、みんながみていないと│
│ころでやっているのかな。                               │
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 子ども以上に興味を持って「どれどれ?」と真っ先に動き出すことを目指していたら、いつの間にか私の先に立って動き出す子どもたちが目の前にいました。
 子どもと教師が一緒に楽しむ中から子どもが学習材を開発するようになるという当たり前のことを教えられました。総合学習の大きな柱となることではないかと考えております。
  勝手なことばかり書いてまいりました。是非有田先生のご指摘をお聞かせ下さい。

 今年度の「第五回有田先生と勉強する会」は、1月6日山形市の遊学館でと予定しております。お忙しい中申し訳ありませんがよろしくお願い致します。
 お体呉々もご自愛下さい。     敬具

 

 「生活科と共に総合的学習を創る」(明治図書)1998 9月号