授業における「板書」の技術

  
 板書は、明るく、わかりやすく、そして、ユーモアを忘れずに! 

                       <2年生2学期始業式の朝の板書から>
1.何のための板書か
 何を黒板に書くか。教師は何を板書すべきか。
 A.授業の中で大切なこと、ここだけはおさえておきたいこと。
B.討論などで、話の視点として大切なこと。または、発表内容。
 Aは結果、Bは過程と大別できる。
 Aは、教科書に書かれていることが多い。Bは、その時、話し合いの中で考えるために大切なことである。
 板書は子どもにノートをとらせるために書くものだという誤解をしてはいけない。板書は、子どもたちの理解を図り考えるもととなればいいのである。
 勿論、書きながら考えを深めるということもある。書く行為によって理解の定着を図るということもある。しかし、板書に作品観をもってはいけない。
 高学年になると黒板に書いてあることを全部ていねいに書こうとする几帳面な子が見られるようになる。話し合いに参加せずに板書をきれいに写すことに生き甲斐を感じる子さえ出てくる。授業内容そっちのけで、何色ものペンを使い分け色彩と形に頭を使うようになる。学習に対する思考停止状態となる。これでは、本末転倒である。
 教師と子どもの間でルール化する必要がある。
・「赤チョークは必ず書いて、その他は書かなくてもいいよ。」(内容の選択)
・「この時間はノートに書かずに考えよう。」(時間の限定)
 書きながら、調べながら、挙手をする子を育てると有田和正氏は言うが、それは名人の成せる技である。

 

2.板書例    [社会科]3年生  

  花いっぱい運動(現在は本単元はない。)で「中央公園の桜はだれがうえているの?」というテーマで話し合った。板書は、単元名の後、中央上から始まり、そして、その下に子どもの発表()を書いた。意見の支持者の数を書き込み、話し合いの中で適さないと思われたものを線で消していった。
 話し合いの中から
 ①いつできたのか?
 ②かんり人さんはいるか?
 ③お金をもらっているか?
 ④市役所・区長さんがお金をはらったか?
という疑問(両脇に板書)が出てきた。子どもたちがノートに写した()のは、月日、四角で囲まれたところ、つまり、単元名と中心のテーマと①~④の本時の疑問である。
 子どもたちは、このノートをもとにして、疑問に対する調べ学習を日記帳に書いてくることになっている。板書を書き写して終わりではない。板書がその後の学習のスタートとなる。
 ※この授業の形態「授業のオープンエンド化」については本章(9)に記述

 

3.板書の技術      
 黒板いっぱいの板書を使って考えること、大きな視点から考えること、メタ認知というのであろうか。子どもたちにそれができるようになれば言うことはない。授業の全体像を意識することができるのであるから、学びの深さは計り知れない。
 そのためには、教師が板書の全体像をとらえ、本時の中心がわかりやすいように工夫しなければいけないことは言うまでもない。
 一時間の授業の板書は、漢字練習や計算練習など書くことを目的とする場合をのぞいて、量的には黒板いっぱいが限度で、せいぜいノート見開き2ページ分までと考える。
 字の大きさは、学年が下がれば下がるほど教科書の字のように大きくていねいに書くのは当たり前として、重要事項であればあるほど目立つ色で大胆に大きく書きたい。 

  机間巡視を兼ねて、時々教室の一番後ろから自分の板書を眺めてみることを進める。美しさとわかりやすさは違う。ちなみに上の板書は6年社会科である。これはすべてノートに書かせた。前述のAである。


 教職研修スタートブック・シリーズ(全4巻)第2巻「授業づくりスタートブック」(教育開発研究所)2003 5月