特集 授業力更新の課題は何か 個別指導を充実させる授業力更新の課題
    目の前の事実を元に

1.教師の授業観をしっかり持つ
 教える立場の者は、子どもを「分かった」という状態にしたい。そうすることが「教えること」だと考えてしまう傾向にある。だから、子どもも「分かること」、「答えを導き出すこと」を目標にする。
 子どもに「はてな?」の実感を持たせて迷わすことをしないから、当然、授業は直線的になる。
 授業の中で「分かった」と言わせることは、必要なことではあるが、それだけでは、「分からなさ」に向き合った個性的な追究は生まれない。
 私は、有田和正氏のオープンエンドの授業に魅せられ、「はてな?」を残して授業を終えることを心がけてきた。多くの実践を通して、課題解決よりも、課題発見の方がより高度な学びであるということを実感するようにさえなった。次世代を担う子どもたちに不可欠なものは、明らかに「課題発見力」である。情報の量や処理能力の速さではない。
 私は、子どもの興味・関心を高め、個の追究を生むため、
┌───────────────────────────────────────────────────┐
│ 授業の中でどのように問いを残し、授業と授業の間に調べたくなるようにするか            │
└───────────────────────────────────────────────────┘
を一番に考えている。   
 昨今、気づきの質を高めることが求められているが、
┌───────────────────────┐
│ 質の高い気づきとは、              │
│「分かった」の中にあるのではなく、         │
│「どうして?」の中にある。          │
└───────────────────────┘
  つまり、
「答え」ではなく、「過程」にある。
  学ぶ楽しさの実感とは、分かったことを土台として、分からなさの共有を図り、追究することの楽しさを体得する中で生まれる。
 それは、「結果としての分かった」ではなく、「分かっていく過程」にあってこそ本物となる。

 

2.授業の振り返りから学ぶ
 
授業の記録を起こす。地味だが、個の看取りを深め、授業力の向上を図るためには、この上ない方法である。
 テープ起こしの作業は時間がかかる。45分間の授業を正確に活字にすると数時間の作業を要する。私は、できるだけ正確にこの作業を行うことにしている。要点を抜き書きしたものではなく、個人名を入れて可能な限り児童の声をそのまま活字にする。授業がどう流れたのかの記録ではなく、誰が何と言ったのか、教師がどう対応すべきだったのかの記録である。
 テープ起こし(現在はデジタル化してかなり安価に、そして、時間的なロスが少なく行える)をする利点は多いが、次の三点を強く感じている。
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│○子どもの反応を詳細に振り返ることによって、                    │

│   授業場面での自分の看取りの力不足を知らされる。             │
│○授業の記録を載せた学級通信を学級で読み合うことによって、         │

│   子どもたちと授業観が共有できる。                       │
│○教師の授業に対する姿勢、教材研究の意識が高まる。                  │
│★例え活字化しなくても、ボイスレコーダーの電源を入れ、意識するだけで、 │

│  自分の発問・指示(特に繰り返し)が少なくなる。                   │
└─────────────────────────────────────────────┘
 授業には、活字に表せない学級の「空気」が大きな位置を占めることを強く感じている。それを実感し、その意味を再確認するためにも、まず可能な限り活字に表す作業は必要である。活字にならない部分が明確となるからである。

 

3.具体的な授業のイメージを持つ
 授業の名人と言われる人の授業を参観する。何度も授業の場から学ぶ。その人の著書を繰り返し読む。講演で直接話を聞く。個人的に質問し直接学ぶ。

 自分の授業を、目指す「師の授業」からイメージ化する。
 物まねと言われても、主体性がないと言われても、一途に追っていく。
 自分がその師のコピーになる必要などない。そもそも完全に同じ授業などできる訳もないということは、やがて頭ではなく、身体で、目の前の子どもの姿から分かっていく。しかし、同じにならなくても、求める姿勢、学ぶ謙虚な姿勢は、大きな宝として自分の身体に残っていく。教材研究しかり、児童理解しかり……。
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「どういう授業をしたいのですか?」
と聞く。
「個別指導を充実させた……」
「この教材を生かした……」
と抽象的、または目先の一部で答える。
 どの学級のどういう子どもの姿をイメージしているのか、明確に答えられる人と会ったことは多くない。
 具体的な姿のない抽象的な目標は、成果を自分で判断できないし、実感できない。事後研の「お疲れ様」で締めくくられる開放感を何度繰り返しても身につくものは少ない。

 

4.「はてな?」を楽しむ
 
昨年度(平成22年度)、3年生の子どもたちと一緒に驚いた「はてな?」ナンバー1。
 それは、ケニアからの留学生を迎えての一週間のワールドウィーク、その中でのダマ先生のプレゼンでの一言、
「京都は暑い。ケニアの方が涼しい。」
 そこから生まれた衝撃、
「京都の方がケニアより暑いの?」
「ケニアには赤道が通っているのに?」
  知的な驚きは、知的な追究を生む。
 教師がすべきことは、待つこと。子どもの追究を楽しみながら待つこと。
 やがて、子どもの追究は多方面に渡っていく。解決を急いで一方的に教えてはおもしろくない。それでは、応用可能な生きた「知」にはなりにくい。

 信念を持って待つことである。
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 有田先生は、子どもの追究を楽しそうに見ておられた。深い教材研究をされながらも、決して子どもに教えることなく、子どもが自らの力で乗り越えてくる姿を、追究する姿を本当に楽しんでおられた。
 子ども以上に「はてな?」を楽しむ教師がいるからこそ、子どもも本気で追究できるのであろう。筑波での有田学級の授業がなつかしい。
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 自戒の念を込めて本稿をまとめた。

 自分の未熟さを感じながら、課題を常に自分の中に位置づけ、今後も精進していきたい。学び続けて行きたい。

 

  「現代教育科学」(明治図書)2011 5月号