有田式 授業づくりの原理原則
 オープンエンドの終わり方     

    「はてな?」の位置づけ

   有田式のオープンエンドは、授業の終末に、単に答え探しのための課題を残して終えるというものではない。
┌──────────────────────────────────────┐
│………今の子どもたちにいちばん欠けているものは、「問い」を発│
│見することであり、「問題発見力」だということができる。           │
│ 教師の「よい子イメージ」を、「問題を解くことより、素朴な問題を│
│発見することのほうに価値がある」というように転換させることが │
│必要になってくる。                                  │
│ 言い換えれば、「わかる」ことよりも、「わかりたい」という意欲や│
│学習姿勢を引き出すことが教師の仕事なのだ、という方向に教 │
│の頭を転換させることである。                      │
└──────────────────────────────────────┘
        有田和正著作集「追究の鬼」を育てる第15巻 20頁
  多くの問いを残して授業を終える有田実践には、こうした意図が隠されている。
 「バスの運転手」のバスのタイヤの数、「水とくらし」の東京駅等のトイレの数……学習内容とは直結しない「問い」の追究から始まる。バスやトイレ、その周辺に子どもをうまく漂わせることによって、実体験による子ども発の「はてな?」を導き出していく。そして、授業が構成されていくことになる。
  はてな帳での「はてな?」発見を導くために、授業での「はてな?」を位置づけているのである。

 「バスのうんてんしゅ」(二年生6月)での導入、一時間目の発問は、
┌──────────────────────────────┐
│①タイヤ・つり皮・座席・ブザー・窓ガラスの数             │
└──────────────────────────────┘
  これは、数を問うもの。意見の対立を生みやすく、調べやすい。
┌────────────────────────────────────┐
│②運転手は、運転しているとき、どこを見て運転しているか? │
│ 何を考えているか?                               │
│ バスの運転と電車の運転は、どちらがむずかしいか?          │
└────────────────────────────────────┘
 実際に調べてみないと分からないこと。追究活動を生みやすく、多様な答え(理由)が存在することである。
 子どもの意見をていねいに聞き、挙手をさせ数の対立から論争を導きながらも、それぞれの意見に対する答えは提示せず「はてな?」で終える。「わかりたい」という意欲や学習姿勢を引き出すことに徹している。
「運転手の仕事について調べてこよう」などと単元のねらいに触れた言葉は一切ない。
 何とかそこに行くように仕向け
  日記での追究を導き
 そこでの子どもの「はてな?」をもとに授業作りをしていく。
 学習課題は、教師が与えるのではなく、「はてな?」の形で子どもから導き出させる。そのための方法がオープンエンドとなっている。
 有田学級の子どもたちが、同じように授業を受けても、あのように多様な追究が行えたのは、授業の終末だけに大きな「はてな?」が存在するのではなく、その途中に生まれたたくさんの「はてな?」がそのまま板書の中に個人の問いとして残されているからでもある。
 有田先生は、「授業は連続していかなければ、子どもの思考は深化していかない。」と述べた上で、更に続ける。
┌──────────────────────────────────────────────┐
│ 結局、「問い続ける授業」は、「わかる」ことから「わかる」ことへではなく、    │
│「わからない」から「わからない」へ発展するものであり、真に「わかる」ということ│
│は、次の「わからない」問題が発見できる、ということである。            │
└─────────────────────────────   (同上書 30頁) ──────┘
 有田先生の「はてな?」は、答えを探させるものではなく、その周辺に足を運ばせ、面白い気づきから、答えを通り越した新しい「はてな?」を生み出すもの、となっている。一見遠回りのようであるが、子ども達の姿が、その有効性を示し続けてきた。
 終末を開くオープンエンドの形を真似しても子どもが同じように動かないのは、「はてな?」の位置づけが違うからである。

 

授業力&学級経営力(明治図書)2015 11月号 有田式で「追究の鬼を育てる」法則