新学力観で「指導案」のどこが変わるか
「子どもの考え」をどう書くか
指導計画や本時の展開の、どこで、どのように子どもの考えや反応を生かしていくか。それをどのように指導案に書き表していくか。藤枝市立高洲南小の授業を参観する前に、指導案に子どもの考えをどう書くかと聞かれたら、そのようなことしか考えられなかったと思う。
高洲南小学校の授業を参観して、その指導案を手にしてからは、一授業の部分での子どもの考えの生かし方について、あれこれ考える前に、もっと大きな流れの中で、授業全体に子どもの考え(願い)を生かしていこうと考えるようになった。私も、高洲南小の先生方のように、子どもと一緒に授業を作り出していきたいと大それたことを思うようにさえなった。
高洲南小は、「自立 愛」を教育の基本理念とし、「生徒指導が機能として働く学習指導」を研究主題としている。そのすばらしさを、有田和正氏は、日本一の公立学校と絶賛される。
高洲南小の指導案には、大きな特色がある。こういう指導案の書き方を、私は他に知らない。
指導案は、大まかに次のようになっている。
┌────────────────────────────────────┐
│ <1P>~年~組求める授業像、設定理由、具体的な手だて │
│
<2P> 教材名、教材の目標、教材について
│
│ <3P>指導計画 │
│ <4P>本時の指導 │
│ <5P>本時の展開 │
└────────────────────────────────────┘
1ペ-ジ目の「求める授業像」がすばらしい。設定理由では、授業像の言葉に込められた思いを、子どもの言葉を引用して記されている。
この各クラス毎の授業像は、五月の連休明けくらいまでに決まるのだそうである。担任を含め、学級全員で、自分たちの授業をどうのようにするかを話し合い、時には、3時間、4時間と話し合いが続くこともあるのだそうである。
指導案に「求める授業像」を載せることについて、高洲南小で出 された「感動ある学習の創造」(文教書院)では、次のように記されている。
「本校では、指導案の一ペ-ジ目に、まず、授業像に込められた願いや、それに迫るための担任の手立てを書くようにしている。本時に現れる子どもの姿は、決してその一時間だけのものではなく、日々の授業の地道な積み重ねによるものであるということを大事にしているからである。研究授業は、打ち上げ花火ではなく、脈々と同じ太さで流れる毎日の営みの中の一点なのである。」
授業後、子どもたちは、一つ一つの授業を、自分たちの授業像に迫り得たかについて考える。そこから、次のような子どもの授業の感想も生まれる。
「今日の国語の授業、超楽しかった。自分にも満足したし、クラスのみんなにも満足したからね。クラスのみんなに満足っていうのは、わたしたちクラスの求める授業像が、みんなできたってことです。‥‥。」(6年女子)
高洲南小の授業のすばらしさについては、ここでは語れない。そもそもこのようなスペ-スで表せるものではないし、その力も私にはない。
「指導案を解読して、自分の授業に取り入れている方も結構あるとか-聞きます。」(樋口編集長)
そういう意味での指導案の役目としては、この「求める授業像」は、適さないかもしれない。
しかし、私は、あえて「求める授業像」にこだわってみたい。
勿論、発問に子どもたちはどう反応するか、その反応をどう生かしていくか、そういうことは、指導計画、本時の展開に書かれている。しかし、それは、教師側からみた子どもの考えである。
「求める授業像」は、子どもの授業に対する考えをしっかり書き表している。子どもが、自分たちで授業を作っていこうとする姿、自ら学ぼうとしている姿、それらを全て凝縮したものが「求める授業像」であると言える。
この「求める授業像」こそ、新しい指導案の姿ではないか。
高洲南小の各クラスの「求める授業像」その全てが新しいイメ-ジの用語と感じた。
平成6年度各学級の「求める授業像」より
6年1組(渡邊克宏先生)
「だれもが最初のひとつぶになろうとする電車の連結授業」
6年2組(鈴木惠子先生)
「心熱く楽しいトルネ-ド授業」
6年3組(橋村富次先生)
「十人十色、本心を出して、楽しくからみ合う授業」
6年4組(杉本厚子先生)
「脳みそパンパン意見をつめて、支え合う6の4の石垣授業」
1年生から「求める授業像」について話し合っている。指導案は、すでに教師だけのものではなくなっているのである。
「社会科教育」(明治図書)1995 6月号